菊芋を掘り起こす手が荒っぽい自分に気がついた。
心が小刻みに揺れている。
それはサルがダイコンを食い散らかしていったのを見たからか。
それとも、さっきまで小さな葛藤を抱えていたことか。
作業をやめて、あたたかい缶コーヒーを買ってくる。
草の上に長靴を脱いで裸足で座る。
目の前の山の黒いシルエットをバックに、白いススキが冬の光をあびて光る。
心をじっと見つめる。
自分の感情を見るようになって、心がどんなふうに変化をするのかを見て来た。
そのため、内側からあふれてくる感情に、ずいぶん正直になっている。
その感情にただ気づく。なにもしないでただ見続ける。
ただそれだけなのに、それが何かしらの力が湧いてくるのを感じていた。
人は感情を、いい感情と、悪い感情にわける。
いい感情は受け取るが、悪い感情は受け取らない。
そうやって、えこひいきをしてきた。
私もそのうちの一人だ。
だが人生は、必ずしもいいことばかり起こらない。
だから悪いことが起こった時は、なんとかしてその悪い出来事や、悪い感情を回避したり、見ないようにしたり、逃げたり、ごまかしたりする。
だから悪いことが起こった時は、なんとかしてその悪い出来事や、悪い感情を回避したり、見ないようにしたり、逃げたり、ごまかしたりする。
でもその感情はなぜか居続ける。
消えたように見えたとしても、またあらわれてくるのだ。
消えたように見えたとしても、またあらわれてくるのだ。
どうしようもなく、受け取られない限りは、それはひょんなことでやってくる。
「悪い感情は、いけないことなのか?」
悪い感情、つまり苦しい感情は、受け取ってはいけないことなのか?
無意識に、この重苦しい感情をなんとか消すために、向かい合っている自分に気がついた。
それはまさにその感情に抵抗しているってことじゃないか。
「苦しくっても、いいじゃないか。
苦しいことの、どこがいけない?」
そうひとり言を言っている自分に、にやりとした。
目の前の白いススキがあいずちをうつように、ゆらゆらとゆれた。
絵:『ススキと秋の山』
何と言うか、私もその場に居合わせたような不思議な感じがしました。『ススキと秋の山』の絵も繊細で好きです。
返信削除ゆうさん、コメントありがとうございます。
返信削除ゆうさんも、きっと似たような感覚をもったことがあったのでしょうね。
自分の感覚に正直になるのは、すてきなことです。
その感覚を、そのまんま味わってあげて下さい。
ススキの絵、ほめていただいて、嬉しいです。
ありがとう。