2009年7月22日水曜日
私が考える絵本について
「おやすみなさいのほん」/福音館書店
私が大好きだった本は「おやすみなさいのほん」という絵本だった。大事にしていたのに、度重なる引っ越しの間に、どこかにいなくなってしまった。
表紙に三日月の上にねている小さな男の子の絵があるかわいい本。初版は私が生まれた次の年だった。中はお話というよりも「ひつじさんもねむります、ひこうきもねむります、うみのさかなもねむります。ねむたいさかなたち....」というような、夜、おだやかに眠りにさそうようなトーンの絵本だった。その何とも言えない雰囲気のある絵と静かな言葉の響きにみせられて、私もいつしか眠っていたようだ。だから最後の場面がうまく思い出せない。大人になって、最後のシーンは何だったのか本屋で探した。すると、大きな天使二人に見守られた、子供たちや生き物たちの姿だった。このページをめくられた時点で、子供の私は意識と無意識の狭間に行き、大いなる存在に見守られて、安心して眠る場所にいざなわれていたんだな。
私が作る絵本の原点はこの絵本にある。
どうしてこの絵本が好きだったのか今ごろになってわかる気がする。どっちかというと、暗ーいトーンで闇の中にうごめく生き物たちが描かれていて、一般的に考えるステキな絵本という感じではない。うさぎさんとおさるさんのなにがしかのお話でもない。ただあるのは、闇の安らぎなのだ。子どもにとって闇や夜は、えたいのしれない怖いもの。起きている状態から眠るという状態に入る時の、何かわからない恐怖。その心の状態をゆっくりとゆっくりと、大丈夫だよ、眠りにつきなさい...といざなってくれる。その世界はとても安心な、みんなが安らぐことが出来る世界なんだよと、言葉にもしないで導いていく。
描かれている絵は、まさに「影のない世界」である。太陽の日差しも風の流れもなく、うすぼんやりとした中に生き物たちがいる。みんな水の中、空気の中でとろんと眠りについている。雰囲気のある絵だ。ただよう空気感まで絵の中に入っている。それを見る子供たちはきっと絵の中に自分がいるような気分にさえなるだろう。
母の声を聞きながら、私はその絵の中にだんだんと入っていく。寝ているのに目を開けている魚に恐ろしさを感じたり、羊さんのからだに得体の知れない影を見つけたりした。私は子供ながらに、闇の恐ろしさと、安心と、未知なるモノたちへの畏怖の念をいっしょくたに感じていた。
絵本はそんな魔力をもっている。子供はまだこの世に降りてきて間もない。いろんなものをどんどんと吸収する。いいも悪いもかんけーない。ありとあらゆることを、ものを。その大事な時期に、言葉では言い表せない世界をかいま見せてくれるのが、絵本のつとめではないだろうか。
私が特に描いていきたいのは、目には見えない世界をほうふつとさせてくれるもの。いつのまにかこの世は目に見える世界だけを追求してきた。でも本当にこの世は物質だけの世界なのだろうか。本当にそうなら、今ほど物質主義な時代はないから、人々はさぞかししあわせにちがいない。ところが今、人々の心はどんどん荒んでいく。
それは、無意識にこの世は物質だけでは満たされない何かを感じているからではないのだろうか。
母と子が夜ベッドの中で一つの物語を読む。この時間ほどナイーブで、いちばん大事な時間はないのではないだろうか。昼間の慌ただしさから静けさの世界へ。今の時代は特にその時間が必要に思える。人々はあまりにも今忙し過ぎる。
その静けさの中に入る時に感じる思い、よろこび、安心は、子供の眠りの時間を温め、明日への推進力となる。同時に母の心までもおだやかにする.....。この相互作用は計り知れない力になる。
絵本の中で繰り広げられる絵の色、絵の形、雰囲気は、小さな子供の刺激になり、美意識までも作り上げる。絵本作家とはなんて大きな役割をになっているんだろうか。
私は夜寝る前、窓を開けて高尾山を見る。暗闇にお山のシルエットがぼうっと浮かんでいる。虫の声、かすかな風、かさこそと闇の中でうごめく野性の動物たち...。闇の中ですべてがじっとそこで息づいている。私はそのものたちの存在を全身で受け止める。その一部になろうとする。私も自然も境界線がなくなるのだ。すると心が落ち着いて、おだやかな眠りにつける。
そんな時間を絵本の中に作っていきたいと思うのであった。
(いや、まじめに書いちゃった)
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