2009年7月18日土曜日

美と科学




虫2匹が木の枝で格闘している。
縄張り争いでもしてるんかな。しばらくやりあって2人は解散。いつ決着がついたのだ?そのいきさつは、私にはわからない。

そこで学者ならばその虫をとらえて、解体、分解、分析する。ちっこい細胞の一つ一つまで解体する。するとからだの構造はわかる。ところがそれでは、あの2人がどうやってケンカの決着をつけたのかはわからない。分解したところでその決着の答えは出てこない。

ゲージツ家は、ただそれをジッと観察する。何度も何度も観察するうちに、何か感じられる。その2人の性格が見えてくるかもしれない。一人はイラチのおじさん、一人はのんびりや。

「おまえがそんなところぼけぼけ歩いてるから、オレが通れなくなるんだよ、このボケカス!」
「なんで?そんなに急いでどこ行くんだよ」
「何だっていいのさ、急いでいる方が、なんかやってるって気になるだろ!」
「何をやっているの?」
「なんかだよ。な、ん、か!何だっていいのさ。止まっちゃったらすごく不安になるじゃないか。そこどけよ!ほら!はやく!」で、二人は解散した.....。(?)

とまあアホな話は置いといて、観察するうちに何かを感じるのだ。それは彼らの行動パターンを知るのかもしれないし、二人のうちのどちらかが何かを噴射(?)したのかもしれないし、はたまた勝った負けたのオーラでも、ピラ〜ッと広げていたのかもしれない。
人はそれをそこはかとなく心の奥で感じ取るものなのだ。そしてきっとそれは当たっている。科学は分解して解体して分析してバラバラにする。なのにその虫たちの本質、彼らの中で何が行われているのかすべてはわからない。かたや観察することは、その奥にひそむ何かを感じる力がある。
ゲージツ家はそのなにかを表現しようとしているのではないのか?その何かはなぜか美しいのだ。

科学は分析して分解して、何かを知ろうとするが、そこに答えは物質としての何か、しか現われてこない。その後には分解された虫のゴミしか残っていない。科学とは、実は支配欲なのではないだろうか。虫を解体して分析する行為は、自分が何かをコントロールしているという気になる。これはいいかえれば、エゴなのではないか?
しかし観察は、支配欲でもコントロールしようとするものでもない。そこにあるのは、観察する喜びだ。物質的に手を加えるのではなく、見て、感じるよろこび。


畑も同じような気がする。
草ぼーぼーの畑の中に野菜が育っている。私はそのシーンを見るのがとても好きだ。草の中でズッキーニが大きな葉っぱを太らせている。中をのぞくと花の下から実が少しづつ育っている。なんでかしらないが、そんなシーンはなんともいえない大きなよろこびを感じる。ハーモニーを感じる。(くすぐったいのー)
だから畑に行くと、作業をするよりも、ただぼーっと眺める時間の方が多い。そのヨコでおばあちゃんは、せっせせっせと草を刈る。私はその刈った草をもらい、野菜の畝にかぶせていくのだ。その草の下にはたくさんの虫たちがいる。ほっこりとした土のにおいがする。雨が降らなくても、そこはいつもしっとりとぬれている。

すべては調和している。そんな青い言葉が頭をかすめる。すべてはそのままでいいのだ。そこに分析も分解もいらないのだ。草も虫もそこに必要だからいるのだ。それをのけた瞬間から調和が狂いはじめる。するとニンゲンはビックリして「一体何が起こったんだ!?」とパニくる。で、今度はそれを補うために分析しはじめる。でもそれは物質だけを見た世界。その奥にある大きな営みを見ることは出来ない。なぜ虫がやってくるのか、なぜ草は生え続けるのか。その答えはニンゲンにはわかりきれないのだ。だから宇宙が行うままにする。

ゲージツ家は、自然を描く。それは美しいからだ。それはたぶん、何か大事なものを無意識に感じて、それが胸を打つのだ。自然の美をブンセキして「これがこうだから美しいのだ」などとへ理屈をつけるアホはいない。「きれい〜」に理由はないのだ!

科学はばらばらにするけれど、美はいっしょくたにする。いっしょくたになった全体を見渡すことで、心は何かを感じている。美は宇宙の叡智に入るための、入り口なのかもしれない。

私はこれまで美とはたいしたものではないと思い込んでいた。紙に描かれた絵は食えないし。科学の方がもっとすごいと思っていた。研究することによってもっともっと豊かな生活が出来ると。
けれどもこうやって畑の中でいろんなことを考えさせられるうちに、美とはとてつもないところに向かうためのきっかけなのかもしれないと思いはじめている。

なんちって。

絵:トマト(そのまんまじゃねえか)

4 件のコメント:

  1. まいうぅーぱぱ2009年7月18日 17:12

    でも、猿に食われると悔しい・・・。

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  2. スズマル大豆の枝豆、ちっこかったけどうまかったね。

    あれ、畑のそこここに蒔いておくよ。大豆は土を肥えらせてくれるって言うし。そんなに大豆だらけなら、サルも飽きるかも.....?

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  3. 個人的には、分解、分析の科学は20世紀の科学で、21世紀の科学は、もっと関係性を大事にする科学のような気がします。

    現在の科学ではわからないことが、まだ山ほどある。だからこそ、それを知りたいという情熱がうまれ、研究が続いていく。夢があって、わくわくするような世界なんだと思いますよ。本来は。

    科学が美から離れた時代が過ぎ、また、美と統合する時代が来ることを願っています。

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  4. そうですね。量子の世界もつきつめたら、誰がそれを動かしてんのや?というところにまでいきついたもんね。
    科学はきっと美と結びつくでしょうね!

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