2009年7月23日木曜日
目には見えない世界
私が考える絵本についてのメインテーマは、目に見えない世界にあるが、それは何もお化けや幽霊のことを言っているのではない。確かにそれも目に見えない世界の生き物ではある。しかしそれらはある限られた範囲に存在するだけなのだ。私がフォーカスしているのは、もっと広いとてつもない大きな世界なのだ。
実は電気だって電波だって風だって見えはしない。それでも必ずそこにあるのを私たちは知っている。たぶん私たちはすでに「知っている」のだ。だから心がうずく。物質の中だけでは生きられないのだ。
人とは単に老いて死んでいくだけの存在なのか?地球は人類の浅はかな行為によって破壊されてしまうような存在なのか?だから二酸化炭素もなるだけ吐き出さないようにするのか?サッカー選手はいいのに、一般人は二酸化炭素を出しちゃいけないのか?
「ほんとはそうじゃあないんだ、この世界は...!」と、心のどこかが叫んでないか?
心臓はどうして動いているのだ?電子はどうして原子核のまわりを目にもとまらないほどの速さで回転しているのだ?どうして雨が降るのだ?それは低気圧が大陸からこのように張り出してきて....と、お天気おじさんは説明する。でもそれでは理由になっていない。その低気圧が出来る理由は何なんだ?そもそもなんで地球は回っているのだ。
私たちの背後には何かが存在している。それははっきりと意識を持った存在。そういうものたちにビッチリと囲まれて、私たちはそれを知らずに生きているだけなのかもしれない。ぐうぜんに起こった出来事も、実はすでに入念に誰かが用意していたものかも。それを目に見えるものしか知らない私たちは「うわー、ぐうぜん会っちゃったわねー!」などと、デパートの前で黄色い歓声をあげていたりする。その後二人はそれをきっかけに新しいことを始めたりするのだ。
昔話にもそんな逸話が何気なく散りばめられている。天狗やカッパや龍....。彼らは私たちに何かを語りかけたり、教えていたりする。「きみきみ、それはね。天狗という架空の存在を作って、教えを説いているのだ」ともいえる。けれども、そういう存在は本当にいたのではないのか。昔の人たちはそれをそこはかとなく、いや確実に感じていて、その戒めを守っていたのじゃないのだろうか。
そしてそれは日々の営みの中に、きらっと光るものを与えてくれる。
「昨日、天狗さんに会っちゃってねえ〜」とか「雲の間を龍が飛んでいたよ」とか「畑のキュウリ、カッパがもっていっちまった」とかいって、野良仕事の合間に花を咲かせるのだ。
でもそこで「ママ、今日天狗さんに会っちゃったよ」と子供が言うと「あら、あんた何言ってんのよ。天狗なんているわけないでしょ。早く寝なさい」といわれてしまったら、子供の心の中に膨らもうとしている未知なるものへの憧れにふたをしてしまうことになる。そこで「まあ!天狗さんに会ったの?ステキじゃない!」と言ったら、「うふふ」と子供は嬉しくなり、そこから先へと思いはどんどん広がっていく。この魂の高揚は、とてつもないエネルギーを生み出していく。
ニンゲンは160センチ足らずのちっこい存在ではない。その背後にでっかい何かを背負っているのだ。そしてそのまわりにも、いっぱいすばらしいすごいものにあふれているのだ。そのことを大人がまず感じることなのだと私はおもっている。それが、日常の何気ない子供への言葉のはしばしに出る。その何気ない言葉がその子の人格を作り上げていく。そして世界を創りだしていく。
私は、地球は自分ではっきりとした意志を持っていると思っている。太陽も夜空に光る星も。そして真っ暗なこの空間。そこはざわめく意識に満ちあふれているのだ。心臓はそれ自体で意志を持ち、風も雲も意識を持っている。私たちの思いは雲に届き、低気圧にも届くのだ。なのに私たちの胃も腸も背骨もからだ中の細胞も勝手きままにバラバラに動かない。私たちがいちいち指示しなくても、完璧なバランスを持って動いている。なぜ?それはなんでかしらないが、この私たちのために働いてくれているのだ。こんなろくでもない、おバカな生き物のために、はっきりとした意志をもって働いてくれているのだ。いったいどうしてなんだ?なにか意味があるのか?
それはとてつもなくありがたいことなのだ。
これは私が勝手に行き着いた考えなのだけれども、そう思ってみるとこの世はステキにみえない?
絵:ラブロマンス表紙
きっと、犬猫の背中にくっついてる虱みたいのが人間なんじゃないでしょうかねぇ。
返信削除犬猫はきっちり生活してるけれど、虱の存在を意識してると思えない。
一方で、虱は犬猫のためにもあまりなってない・・・。
ふははは...。ニンゲンはシラミかあ。たしかに、何ほどの存在ぞってなもんだもんね。ネコなんか特にニンゲン無視するし。地球にいたってはニンゲンいない方が、平和だし。
返信削除今、まいううぱぱシラミが子犬の背中にくっついているのを想像してしまった。