2009年3月22日日曜日

山の仙人が言うことにゃ




山にうつくしい仙人がいる。

その人は山の手入れをしている。まじめで謙虚。どこかユーモラスで透明感がある。いつもしょぼくれた格好をしているのに、なぜか美しい。ばったり山で彼と出会うと、心がうれしくなる。

とつとつと語る彼のコトバに耳を傾けていると、不思議な世界に連れて行かれる。何となしにいったコトバの中に、人間の感覚の無限がぽこっと現われたりする。

彼は山を走る。
昼夜とわず、ひた走る。必要最低限のものを背負い、額に懐中電灯をつけて走る。
真っ暗な闇の世界。たった一人の自分。懐中電灯に照らされて目の前に現れる樹々の姿。そしてその無数の影たち。それが回り灯籠のようにぐるぐると展開する。道はけもの道。どこに崖があらわれるかわからない緊張感。足元など見えはしない。それでも全速力で走る。

突然あらわれる大きな木の影に驚く。さっと目の前を走るイノシシにはっとする。だんだん感覚が研ぎすまされていく。

「するとねえ。見もしないのに、走りながら、あそこに人が埋められているとか、ここに何かがあったとかがわかってくるんだよね。それは理屈じゃないんだよ。なぜかわかるんだなあ〜」
と、へらへらと笑う。

木の根っこにつまずいてバランスを崩した時、額から懐中電灯が飛んだ。
「ここでこれをなくしちゃ、困るだろ?必死だったよ」
彼はスローモーションのように宙を飛ぶその懐中電灯に向かって飛んでいたそうな。

からだ中から全感覚が開きはじめ、超人のようになる。彼の話は、役小角や高尾山にいた修験道たちをほうふつとさせる。
ニンゲンは無限の力を持っている。彼のコトバにそれを確信する。


その現代の仙人がぼやく。
「植樹祭なんかやりたくねえよ」

今年もまた植樹祭が行われる。何百人もやってくる人々のために、山を切り開き、道を作り、安全を確保する。

「山桜ばっかり植えるんだよ。それも業者が手入れがしやすい品種改良された山桜。本当は実生の木を大事にしなきゃいけないのに...。」

実生とは、その場所で落ちた種が芽を出し、自然に成長したもの。それがオリジナル。その実生の木はきびしい大自然の中に耐え忍んで這い上がってくる優れた木たち。
それを無視し、外からやって来た苗木を植えさせる。どうして?それが今の「地球にやさしい」ブームだからだ。

その人工的な苗を植えさせるためにもともと生えている木々を伐採し、山の急な斜面を整備し、炊き出しをする。すごい重労働だ。素人さんたちが山に入るのだ。神経を使う。その上何かが起こったときは、何を訴えられるかわからない。準備を整えるために、どれだけの苦労があるか容易に想像できる。

その苦労の上に乗っかって、植えっぱなしで嬉々として帰っていく人々。彼らの心の中には「いいことをした」という喜びであふれている。でもそれはホントに「いいことをした」ことになるのか?

それをのちのち手入れするのは仙人たちなのだ。その手入れは、その後何十年も続く。実生が生えてきたものとはちがうのだ。


今はすべてがイベント化している。ゴミを拾う事までイベント化している。
私は木下沢のゴミを拾って来たが、そんなものみんなとやる事ではないと思っている。淡々と一人でやる行為であるはずだ。みんなといっしょにやる事が大事ではないのだ。たった一人で誰にもしられずやるからこそ、心に自信と喜びが生まれる。それはじっと深い所で静かに育まれるのだ。


エコはブームにはなりえない。
ブームはやがて去る。ブームになるにはそのウラに何かの意図が入っている。それは企業のイメージアップだったり、お金儲けだったり。

「そんなとこ、やめちまえよ」と私。
「いや、オレはやめない。やめたら意見できないだろ。中にいるからこそ、言いたい事が言えるのさ」

こんな人たちがいるから日本はあるんだな。やがて日本の山々は彼らのような人々に支えられてよみがえってくるのだ。


絵:オリジナル絵本「はなたれさきち」より「大天狗さきち」

4 件のコメント:

  1. いい天狗様ですね。
    今日、ふじだなで、つくしさんの作品をみせていただきました。切り絵の作品が、なめらかなラインによって、静かな中にも生き生きとした立体感を生み出していて驚きました。
    「ふろしきとパラソル」のふろしきが特に気にいりましたが、ふじだなオリジナルのバンダナもまた、いいですね。

    山の仙人様、がんばってほしいです。中にいて、本当はどんな樹を植えるべきなのかを、主催者、参加者に伝えていってほしいです。応援エネルギー送ります。

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  2. ふじだなに見に行ってくれてありがとうございました。あえなくて残念。
    静かな中に生き生きと..なんてステキなお言葉ありがとうございます。
    そういう絵をめざしています。
    時々絵を公の場所にさらすのはいいですね。いろんな人々の言葉を聞ける。それがヒントになってこれからの絵に影響をもらっていくんだな。今回はそんなことをいっぱい考えました。

    リスさんのような人々がいっぱいいると、日本のお山ももっともっと元気になるでしょう。
    私もリスさんの意見に同感です。

    天狗の絵は私がイメージした天狗です。彼は山のすべてを知っている天狗です。(と、私の絵本はいっている....)

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  3. まいうぅーぱぱ2009年3月31日 1:48

    天狗さん。会いたいねぇ。
    天狗さんとのみたいねぇ。
    飲んでくれるかね???

    天狗の思い出。
    娘の通ってた保育園、最後のクラス(6歳?)になると、奥多摩、御岳山のお寺に合宿をします。現地では、天狗がみんなへの試練のご褒美として「勇気の鈴」をくださいます。とはいえ、それを戴くには、みんなで協力して、人数分の鈴を見つけ出さなくてはなりません。
    はれて、各自ゲットした鈴は翌日からみんなのかばんに取り付けられ、子供たちが走るたびに、凛凛という音を立ててくれます。下級生たちの尊敬のまなざしを浴びながら・・・。
    なかなか、公立の保育園では企画できないけれど、良い通過儀礼だと思います。今でも続いていてくれたらいいなぁ・

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  4. まいううーぱぱさま

    わしも一緒に天狗さんと酒飲みたい!
    酔いつぶれるまで飲まされそうだけど。で、気がついたら、どこかの山の中にほっぽっとかれて「うえ〜ん!」みたいな...。

    その天狗さんの鈴!いいなあ。ほしいなあ。そりゃ、下級生はうらやましいだろうな。
    そうやって上の人を敬っていくんだな。その企画続いていってほしいね。

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