2009年3月20日金曜日

デスバレー


 

デスバレーは、アメリカにある国立公園。

公園といっても、その広さは長野県とほぼ同じ。おじいさんが孫を連れて、お砂場で放し飼いにするレベルではない。そしてその暑さときたらハンパではない。9月の終わりごろでも46度!鳥も大口を開けて闊歩する灼熱のお砂場なのだ。
そのお砂場は、映画スタートレックに出てくる「火星」そのものだった。それもそのはず、そのスタートレックはここで撮影された。


わしら夫婦はそんなへんな所に魅了されて出かけていった。
そこがインディアンの聖地だったなんて、現地のホテルで働いているインディアンから聞くまでまったく知らなかった。

「デスバレー(死の谷)なんて名前がついてるけど、ここは僕らの大事な場所なんだよ」
たんに金儲けの観光地となってしまったこの場所で、今でも密かに彼ら部族の儀式は行われていると言う。

こんな話が聞けるのは、私が黄色人種だからだ。時々出会うインディアンに、白人への警戒心と黄色人種への安堵感を、言葉のはしばしに感じる。それはあまりにも悲惨な歴史を目の当たりにしてきたからなのだろう。近代的なニューヨークにいてでさえも、インディアンの影は、ビルの谷間に見え隠れしていたのだから。



昼間の灼熱とはうって変わって涼しい夜。

私たちは真っ暗な夜に車を走らせる。満天の星空。風ひとつない砂漠。とある場所の入り口。私たちは大の字になって砂漠に身を横たえる。大地の鼓動に耳を傾けながらじっとしていると、ひたひたひたと音がする。やせほそったコヨーテが私たちの横を通り抜けていった。

コヨーテ。意味はトリックスター........。
そんな言葉を思い浮かべながらうとうとしはじめる。
ふと、右側前方に何かの気配を感じた。

誰かくる...?
頭を上げてまわりを見渡す。誰もいない。
しかしそれは私たちに向かってまっすぐやって来ている。心がちょっと不安になった。

「そろそろ、帰ろうか」ダンナが言った。
「うん、帰ろう、帰ろう」
私たちはホテルに戻った。


ニューヨークのアパートに戻って、いつものように忙しい日々をすごす。だけど、なんかへん。
なんかこう、私たち夫婦と犬だけじゃあない、もう一人誰かがいるのだ。

「ねえ、...ウチに誰かいない...?」と私。
「ああ....、いるねえ..」とダンナ。
「ここに、いるような気がするんだけど....」と私は指を指す。ダンナもうなずく。

25畳の広いリビングのど真ん中、その人はあぐらをかいて堂々と座っていた。
頭は真っ白く長い髪を肩までたらしている。上半身は裸。皮で出来たまっ白いズボンとモカシンを身につけていた。
「あん時、右っかわからやって来た人だな」ダンナが言った。だから帰ろうと言い出したのだ。

私たちはいつのまにか、インディアンの酋長のような人物を連れて帰ってしまっていたようだ。
それはあの場所で寝ちまったから気に入らなかったのか?それともなんか別の、ニューヨークに来る用事でもあって、私たちの車にでも便乗したのか?
それにしてもなんでリビングのど真ん中に座っているわけ?お客さんでも、たまには隅によったりと、ちょっとは遠慮するのに。それとも私らを見はってでもいたのか?まん中でぴくりとも動かなかった。

ともあれ、数日間いっしょにすごしたのち、彼はいつのまにかいなくなっていた。

今もってその意味はわからない。でもそんなワクワクするような不思議なことがあの場所にはあったのだ。それは私たち日本人にはわからないインディアンの深〜い世界...。

アメリカの大地には、今もそんな場所が隠れひそんでいる。

絵:「よあけ」けんぽ表紙

2 件のコメント:

  1. 何か不思議な話ですよね。
    ユタ君はどんな反応でしたか?

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  2. ユタくんは、あたりまえのように、しらっとしてました。
    「あ、そ。いるのね」ってなかんじ。

    あいつは天井を眺めて何かを見ていても、
    「あ、そ。いるのね」としか反応しなかったのだ。

    人間にとって不可思議なものも、動物界では不思議でも何でもないのかもね。きっと理由も知ってたりして...。

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