2024年5月29日水曜日

つまずき石

「可愛い石ころたち」/和紙、水彩

好きなようにやればいい。

やりたいようにやればいい。


だけどなかなかそうはできない。


だってそんなことしたら、絶対どこかでしっぺ返しがくる。

好き勝手したら、そのうち嫌なことが起こる。。。





実はその嫌なことは自分で起こしているとしたら。。。?



私たちは自分で自分につまずき石を置いている。


私たちの奥深くにある罪の意識。。。

それが私たちを不幸に導いている。


罪があると信じているから、罰を欲する。

つまずき石は、罰なのだ。


一瞬一瞬、自分に罰を与えている私たち。


「こうなったらどうしよう」

「あの人、私のことこんなふうに考えているかもしれない」

「あ、、痛い、、これってひょっとしてすごい病気の症状じゃないか。。。?」


この思いさえも、自分に与えている罰だ。


苦あれば楽あり。


これも罰だ。


苦労を美徳とする。

これも私たちが罪深いと感じていることへの慰め。


好きにやっちゃいけない。

わがままはいけない。


それをしたら、何かが、、、起こる、、、、。

というビクビクした思いも、また罰の一つ。


そんな風に、ちょっとづつ、苦しい思い、辛い思いをしたら、

きっといつか私は幸せになって、、、、。


って、いつ幸せになった?

それは一瞬だけのものではなかったか?

その幸せを感じた次の瞬間、また次の不幸のために怯える。



これが延々と繰り返されているだけなのだ。


罰は受ければ受けるだけ、刑が軽くなる、、、

わけではない!


視点が間違っている。


罪があるという前提に立っているから、

苦あれば楽あり、

飴と鞭の人生、

いつかやってくる幸せのためにあくせくする人生なのだ。


そしてその「いつか」は、永遠に「いつか」でしかない。

やっては来ない幸せ。ここにはない幸せ。



視点が間違っている。


私たちには罪はない。

だから当然罰もない。


ということは苦労する必要はないのだ。

犠牲を払う必要もないのだ。


ただ、そう信じただけなのだ。


親がそういうことをしているから、そう信じただけなのだ。

社会がそう仕向けているように見えるから、そう信じただけなのだ。

ドラマがそういうもんだと教えてくるから、

自分もそういうもんだと信じさせられているだけなのだ。


ただ罪があると信じただけなのだ。



いつかやってくる幸せは、永遠にやってこない幸せ。

それって、今私は幸せじゃないと宣言している。

何かが欠けていて、それを埋めると幸せになれると信じている。

そしてそれはいつまでたっても埋められない。





私たちには罪はない。

罰を受ける必要もない。

幸せは、今ここで受け取れる。

受け取っていいのだ。

何かいいことをして受け取る必要などないのだ。

何かいいものを見て美味しいものを食べてからの~幸せ!ではないのだ。


何ひとつ、なにもしなくていい。

今、そのままで受け取っていい!

幸せを!

無条件に!



つまずき石を見つけたら、

それを見て、にっこり笑おう。


つまずき石くん、

出てきてくれてありがとう。


あなたは消えるために出てきてくれたんだね。



つまずき石くんは、光に包まれて消えて行きました。











和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです










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