先日、本屋さんでエリックカールの絵本を手に取った。
彼の絵本は超有名。
私自身も紙を切って作品を作っているので、
彼のことはもう何十年もずっと気になっていた。
しかし実際はパラパラと絵を見るだけで、じっくり絵本を読んだことはなかった。
時間があったので読んでみる。
愕然とした。
彼は自分の限界を知っている!
そしてその限界がゆえに表せる世界がそこにあった。
それはエリックカールでしか生み出せない世界観だった。
そしてその限界があるがゆえに、そこに無限の可能性がある。
自分を極める。
それこそが天才なのだ。
誰にも通れない道。
誰にも真似できない道。
その人にしか歩めない道。
それを突き進む。
それが自分を極めることなのだ。
実はみんなができることなのだ。
私たちは小さい時、誰かになれと言われてきた。
お姉ちゃんのようになりなさいとか、
ナイチンゲールになりなさいとか、
なんとか屋さんになりなさいとか、
はたまた、お姉ちゃんなんだから、ちゃんとしなさいとか、
ああなってはいけないとか、
とにかく、なんだか知らないが、
そのまんまの自分じゃダメだって言われ続けてきた。
60過ぎて思う。
それ、もともと無理なんじゃね?
自分じゃないカタチの中に、無理やりはめ込もうとさせることは、
もうほとんど拷問だ。
しかも将来大人になったら、
いくつかの職業の中のどれかになれって言われている。
あるいは誰かが作った問題に、
誰かが作った答え。
問題と答えをずっと解き続けさせられ、
決まり切った形の答えの中にはめ込む。
テストテストテスト。
それを解いたら一人前。
それができてこそお前は人間として認められる。
は?
どこかの誰かが考えついただけの問題と答えなんだよ?
それを基準にされて、括られて人生送るわけ?
だがその中で自分が自分に教え込んでいることは、
とんでもない劣等感だ。
「お前は間違っている!」と。
自分が出した答えではなく、誰かが出した答えを求めてさまよっているのは、
ひとえに答えは、外にあったからだ。
小さい時から、ずっと答えは外にあって、それを必死で取りに行ってたのだ。
だから誰かさんのようになろうなろうとしてきた。
しかし今私はエリックカールを見た。
その絵本が教えてくれているメッセージを読んだ。
うん。自分でいいんだ!
自分には自分の独自の道がある。
その道を極めることは楽しいに決まっている。
だってなんの無理もしないのだもの。
どっかの形にはめることはしなくていいんだもの。
息するように生きたらいいんだもの。
自分を極めるのだ。
徹底的に自分を生きるのだ。
それはまったく真っ白の、誰も見たことのない道だ。
私だって知らない。
だって知るわけがない。
これから出てくるんだから(笑)
真っ白から始めようっと。
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