2023年2月17日金曜日

深い淵

 


ここのところ、コケたり、滑ったり、

コケそーになったり(そればっかりやな)する。


このことを通して、自分が老いていくってこういうことなんだ、、、と実感する。


体と頭が一緒に機能しない。

そしてそのことに心はいつも終始する。


この足がどうにかなってくれれば、、、

この体がもうちょっと動いてくれれば、、、

ああ、やっぱり私は御多分に洩れず、

老いさらばえて、人様のご厄介になるのか、、、。



そう考えると、ご近所さんたちのグチの意味がわかる。

年行ったからねえ~。

年には勝てないわ。。。


自分の体の変化を通して、

老いということがどういうことかを知り、その思いを知る。



そして昨日、恥ずかしい思いをして、

ひとしきり悶え苦しんだ。


罪悪感がゆえに、悶え苦しむ。

老いもまた罪悪感がゆえに苦しむ。


体を通して、心を通して、

罪悪感がいかに私に深く浸透しているかを、改めて知る。


その苦しみの深い淵に入っていくほどに、

罪悪感の深い淵に入っていくほどに、

他人だと思っていた人たちが、

実は自分とまったく同じ悩みを抱えて苦しんでいることを知る。


ワンネスって、いっしょって意味じゃないだろうか。


悩みもいっしょ。


ひとりぼっちだ。という思いも、


私は無価値だ。という思いも、


私はここにいてはいけない存在なんだ。という思いも、


みんないっしょだった。



例えば、波の先っちょから見たら、隣の波はみんな別々に見えるんだけど、

波の下に潜っていくと、みんな繋がっていて、

みんな同じ海水だったってわかる感じ?


だからご近所のちっとも空気を読めないオヤジも、

ああ、苦しんでいるんだなあってわかる。


俺を認めてくれ~~~っ!愛してくれ~~っ!

って、愛を求めて叫んでいるのだ。

それは私といっしょなのだ。




心の深い闇をずーっと降りていく。


分離しているように見えているけど、

実はひとつだから、

ぜんぶ同じ。

みんな同じだった。

考えたら、当たり前だった。


そしていとしさや、慈悲の気持ちが溢れてきて、

優しい気持ちになってくる。


自分の弱さはみんなの弱さ。

自分の強さはみんなの強さ。


違っているみたいに見えるけど、本当は思いは同じ。

ひとりぼっちじゃなかった。

誰とも違ってたりしなかった。




そしてなおも深く降りていくと、ハッチがある。


そこにこの深い淵からの出口がある。





絵:「ドイツトウヒ」





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