2022年11月5日土曜日

あんた、誰?


 

私は歩く罪悪感妖怪だった。


一足踏み出すごとに湧き上がる罪悪感。

息するように出てくる自分への否定。

あらゆる行為に文句を言い続ける声。


「お前などいる意味がない。何の価値もない。死んでしまえ」

幼い頃から、ずっと聴き続けてきた。


私はここにいてはいけない存在なんだ。

いるだけでその場が汚れる。

皆に不快を与える存在だと。

だけど死ぬことは怖い。どうしていいかわからなかった。



だからテレビで「妖怪人間ベム」の言葉を聞いたとき、戦慄した。

「早く人間になりたい」


幼い私は、

「私も、私も、、、早く人間になりたい!」

 この醜いカラダ、醜い存在から全て足を洗って、

みんなのような人間になりたい!と切に願った。




あれからうん十年。一向に人間になる兆しはなかった。


おまけに、あのベムベラベロは、あれから人間になれたのだろうか?

たとえ人間になったとして、果たして彼らは幸せになれたんだろうか?


などと、人間であるフリは身についたが、

人間そのものに疑問を持つ始末。



あるときイラストの仕事でうまく描けなくてウンウン言ってた。

(毎度のことなんだけど)


ううう~~。できない。

「だからお前はダメなんだ。」

じゃあ、どうすればいい?こうすればいい?

と、描きかえる。

「それじゃダメだ。」

また描きかえる。

「それもダメだ。」


そういう心の中でのやり取りをするうちに、

いつまでたってもダメ出しを繰り返すその言葉に矛盾を感じた。


ちょっと待てよ。

「あんた、誰?」


その瞬間、私ではないもの、の存在に気がついたのだ。




私たちは普段、自分の頭の中で聞こえる声は、「自分の声」だと信じている。

だから自分の声だから自分の考えだと思っている。

そして当然、それは「自分の味方だ」と信じて疑わないはずだ。

自分のためを思って言ってくれている声の、は、ず。。。


ところがこの声は自分を破壊する方向に向けていく。

ダメ出しを連発。どこまでもダメ出し。


それでもその切磋琢磨があるからこそ、私はいい作品ができるんだと信じた。



そして相変わらず罪悪感妖怪は、巨大な罪悪感を抱えたまま生きていた。


この苦しみは一体なんなのか。

自分がいけてないから苦しいんだ。

自分が間違っているから苦しいんだ。

だから正しく生きなければいけないんだ。

だけどどうやって正しく生きるのだ?


その間何十年も探究を続けた。

しかし苦しさは消えなかった。


そして奇跡のコースにたどり着いたとき、

長年私に取り付いていた罪悪感の正体がはっきりとわかったのだ。

コースほど、罪悪感について、

これほど明確に何一つブレのない解説してくれる本はなかった。


私は救われた思いがした。

そしてそれがなんなのか、形而上学と、実践と、体験を通してわかり始めた。


自分の中から罪悪感が消えていく。

消えるほどに、考え方が変わっていく。

あらゆるところに私を解放させるヒントが散りばめられていた。

この世界自体が、解放のための巨大な教室だったのだ。

あの声はどんどん小さくなってくる。

それに反比例してどんどん平安に愉快になっていく。





あの声自体が、私をすでに人間たらしめていたのだ。

人間にさせるための声だった。

小さな肉片の中に閉じ込められたような生き物。


あの妖怪人間さえも人間だった。

いや、彼らはまだ救われるところに近かったかもしれない。

なぜなら自分の苦しみを自覚していたから。


きっと彼らは、ある時、求めるものが違っていたことに気がついただろう。

人間になることではなかったと。


あなたを破壊や否定をしようと促すその声を、聞き逃さないでほしい。

それが苦しみの原因なのだ。

そしてその声はあなたから出たものではない。

あなたにささやくものだ。とても大きな声で。


それを聴くということは、その声はあなたではないということだ。

たとえ心の中で聞こえようとも、それは外から聞こえている。


それをハッキリと外に見たとき、解放への扉が開く。


「あんた、誰?」と。



形を持った人間ではない、


本当の自己へと導かれる瞬間だ。






絵:モンスター列伝/似顔絵ー児玉誉士夫


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