心の平安と、心の中の物語が消えていることとは関連があるようだ。
非二元の人たちが「これがあるだけ」というのは、
そこに物語がないことを話しているのではないか。
今、目の前に見えるその風景があるだけで、
その形の中から引き起こされる様々な物語、
例えば「これはどくだみでつまんだら臭い」
などという、
モノから導き出され、
つらつらと流れ出てくる解釈がなくなっている。
または、その目の前のことはどっかに行っちゃって、
「あいつはいかがなものか。。。」
という、今ここにいない人のことをつらつら考える。。。
ということがない。
それはどくだみだという名前さえも気にしていない。
「これはどくだみ」という解釈がなく、
ただそのものに感動し、喜びを味わっている。。。
その時そこにまったく物語が展開していない。
頭の中に言葉がいない。
そのまったく心に思考されるものがない体験をしたのち、
以前のように普通に思考が戻ってくると、
そこに平安がないことに気づく。
この世界の住人に戻っているのだ。
この世界は重要で、居場所を確保し、
またはその居場所を誰かに取られないように、
サバイバルしてなければいけない住人に。
どくだみを鑑賞して喜んでいる暇はないのだ(笑)
思考には2種類ある。
この世界の住人として、どうにか生き残る作戦を練る思考。
もう一つは、そもそもそれを本当に信じ続けてていいのか?
この考えを持ち続けている必要があるのか?
と、疑っていく思考。
前者は心の平安をかき乱す。
後者は心の平安へとみちびきだす。
絵:ホタルブクロとどくだみ
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