2022年5月22日日曜日

物語が展開しない


部屋から、目の前の木を見る。

以前は少し心がうずいた。ああ、庭掃除をしなきゃ。。。

部屋の中のものを見る。

以前は心がうずいた。部屋を綺麗にしなきゃ。。。


今は木を見る。部屋のものを見る。終わり。


形を見て、そこから展開される物語が動かないのだ。

なのに喜びが溢れてくる。


昨日役員会があった。会長が突然の辞任で緊急会議。

シリアスな状況なのに、昨日のことを思い出しても嬉しくなってくる。

町会のオヤジ一人一人が愛おしい。


何が起こってるんだ?


先日のラーメン屋事件(そこまでのことか?w)からなんか変だ。

心がカラになると、目の前のことが希薄になっていく。


形を見る。

私はこれまで形を見ると、形の中に罪を見ていた。


部屋。ああ埃が溜まっている。掃除しなきゃ。人が来る。みっともない。。。。

そうやって次々に連想ゲームのように心が動き始める。


がぜんその形は意味を持ち、物語が展開し始め、

この世界が重厚で動かしがたいものになっていった。




これが私たちがこの世界をリアルに感じている理由だ。

形に自分の罪を見ることで。


この世界は私たちの罪悪感でできているとコースはいう。

神の子である私たちは、神から離れたと信じたことで(信じただけだけど)

起こった巨大な罪の意識がこの世界を作り上げ、その中に逃げ込んだという。



心に浮かびもしないほど深く沈めた神からの分離という罪の意識。

その無意識にまで沈めたものを、少しづつ浮かび上がらせる。


一切を包み隠さない。

何をどう感じているのか、自分の内側を見てあからさまにしていく。

そういう作業が、無意識に沈み込ませた罪悪感を浮上させていく。

すべてを光のもとにさらしていくのだ。


そのたびに少しづつ心の中の罪の意識が消え始める。

そうすると心の中の声が少しづつ消え始める。



散歩してても何かが違う。

散歩しているいつもの感じじゃない。

全てに関わりがなくなっている。


これがこの名前の花で、いい香りがして。。。

といういつもの感覚が希薄になっている。

目だけが宙に浮いて移動している。


自分が変な感じになっているのに気がつく。

「私、ここにいない。。。?」


私がいないということではなく、

私はこの世界に属していないことに気がつく。


この世界は私が見たくて作り上げたものだった。

罪を見たくて。罪を外に見て、自分に罪はない!と言い張るために。


それは本当に存在するのか?

違う。目的があって作ったものだった。

罪を形になすりつけるために。罪を忘れるために。


でもそもそも罪などなかったのだ。

単なる思い込みが、この世界を宇宙まで作った。


はあ~。さすが神の子。

腐っても鯛、にはとんでもない力があるもんだ。

だけどそれはエンドレスの地獄。

お釈迦様が輪廻から離れろといったのはそういう意味だった。


木を見て、心が動かなくなったのは、

私の中の罪の意識が消え始めているからなのだろう。

その代わりに、風景とは関係なく喜びが込み上げてくる。


私は世界をある、ある、あるといって、縛り付けていた。


世界を解放しよう!



絵:MF新書表紙イラスト






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