夜寝る前、旦那に話しかけた。
すると「今本を読んでいるから」と断られる。
その時は別になんとも思わなかったが、徐々にある感情が私をひたひたと襲い始める。
「拒絶された。。。。」
私の中に拒絶されたことへの怒りがだんだん膨らんでいった。
「やばい。。。これ来た。。。」
断った旦那が悪いわけではない。
これは自分の中にある、拒絶されることへの恐れが浮上してきているのだ。
拒絶される。
見捨てられる。
自分には価値がない。
心が台風のようにものすごい勢いで暴れまくっている。
この怒りをぶちまけたところで、それは何の解決にもならない。
ここでこれと向き合わない限り、またやってくる。
今がチャンスだ。。。。
荒れ狂う嵐の中で息をひそめてじっとしていた。
こんな時、赦しも訂正も使えなかった。ただ沈黙を守る。
少しづつ嵐が収まってくる。暴風雨は風が止み小雨になり、やがて上がっていった。
見捨てられる感覚は昔からあった。
小学校でのいじめ。父の暴力。
生きている価値などないと思い知らされる過去の日々。
父は死に、私はもう還暦だというのに、
あの壮絶に惨めな感覚はまだ私の心に残っていた。
私の中にあるこの信念。無価値で、拒絶され、見捨てられるという信念。
この考えを持ち続けていて、嬉しいわけがない。いつもこの信念に惨めさを味わわされてきたのだ。
もうこの考えは私には必要ない。
その考えを消していける方法があることに救われる。
聖霊にこの考えを捧げる。
「この考えを取り下げます。聖霊さん、取り消してください!」
夜中目が覚めた。
心に馴染みのある感覚が戻っていた。
それは自分を否定する感覚。
心に内側があるとすれば、その内側の壁に、
薄いオブラートのようにピターッと張り付いた自分を否定する膜があった。
その膜が私を声にならない声で否定し続けていた。
「ああ。嫌だ。この感覚。消えたと思っていたのに、まだある。。。」
陰鬱な気持ちになっていった。
「これは薄い膜だ。。。」
薄い膜の自我。
そう思った時、これは選択なのだと思い出した。
「私は自我を選ばない。自己否定を選ばない。」
と、心で言い続けた。
明け方目がさめると、オブラートは消えていた。
ああ、そうか。。心は常に選択していくのだ。
私の心に染み付いた自我の考え。
否定の気持ち、無価値観、拒絶感、罪悪感、、、
当たり前のようにいつもひょこひょこ現れてくるこの感じ。
その都度、自我を選ばない選択ができるのだ。
選択は二つに一つ。
なんてシンプル。
闇を選ばず、光を選ぶことができる。
重苦しさより軽さを選ぶことができる。
そうやって私は少しづつ自由になっていく。
本当の私に戻っていく。
私には選び直せるものがある。
絵:「ススキと高尾山」
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