高校時代、八日に一度の楽しみがあった。
亡くなった父に申し訳ないが、八日に一度とは、父の当直の日のことだ。
その日だけは母と二人で高知の食の通り、大橋通りに出かけて行って、好きなものを好きなだけ食べて帰ってくるのだ。
母の仕事帰りに合わせていつも待ち合わせするのは、大橋通りから一歩脇に入った雑居ビルの地下にある本屋さん。私はその本屋さんが大好きだった。
地下へと続く階段を降りていくと、そこは一気に木の世界。天井まである高い本棚たちがそびえ立ち、さながら本棚の森に入ったかのようだ。天井以外すべてが落ち着いた同じ木の色でできていて、歩くとキシキシと音がする。塗りたてのワックスの匂いの奥から、小さなカフェから漂うコーヒーのいい香りがした。コーヒーの香りとワックスの融合が、ひときわ心を落ち着かせる。
私はそこで夢野久作や久生十蘭の世界に想いを馳せた。
その中でも私を虜にして離さない一角があった。それは絵本のコーナー。そこでは何時間もいられた。
幼い頃母に呼んでもらっていた絵本は、たった一冊の本の記憶しかない。だがこの本屋さんを通して、私は絵本の世界を知った。
高校生になって読み始めた絵本だったが、不思議なことに大きくなっても読める。安野光雅や宇野亜喜良、海外ではユーリーフルヴィッツやアーノルドローベルなど読み漁った。
その後アメリカに渡った時、絵本を出版している出版社に営業してみようと思った。
アメリカでは絵本のことを「children’s picture books」という。
子供の絵本かあ。。。
高校時代から読み始めた絵本だったので、その言葉になんか違和感があった。
絵本は絵本じゃん!picture booksといえば?と。
だけどそれだと写真の本ってことになっちゃう~(笑)。
手当たり次第営業をかけて、ある出版社に声をかけられた。しかしその出版社は、子供のおもちゃから絵本まで、全て可愛らしい世界。いい話ではあったが、いづれ自分が嫌になることは見えていた。かなり気に入られていた様子であったが、丁寧にお断りをした。
子供向けの絵本は山ほどある。だけど大人が読むに堪えうる絵本の方に私は惹かれた。
それはその絵本の中に、広がりを感じさせてくれるからだ。
文字で書かれていない、絵で表されていない、その奥にある何かを。
絵本から目を離すとすぐ見える普段の見慣れた風景が、その絵本の世界を通してみると、突然違う風に見えてくるのだ。私はあの本屋さんでそういう感触を何度も味わった。
この世界はこうなのよと、大人が知ったかぶりを子に教えるための教材としての絵本ではなく、大人もまだ知らないものを、子供と一緒に味わう。
なんだろうね。
これはなんだろうね。
でもステキだね。
一緒に探ろうか。
そう思わせてくれるもの。そんな絵本があってもいい。
いやそれこそが、まだ知らぬ何かを見つけていくきっかけになるのではないだろうか。
母と子がベッドの中で二人共通の世界を味わう。
子はこれから出会う世界に思いを描き、
母は日常から遠く離れた何かに想いを馳せる。
ほんの数分間だけの二人の世界は、大きな光の波紋となって世界に広がっていく。
その波紋に触れた人々は、何かを思い出していくのだ。。。
絵本には世界を変えていく力がある。
久しぶりにあの頃の自分を思い出していた。
絵:「10分あれば書店に行きなさい」/MF新書表紙イラスト
0 件のコメント:
コメントを投稿