朝目を覚ますと静かだった。
庭ではコオロギの声、鳥の鳴き声がする。
心の中で話す声も聞こえる。
だけど、し。。。ん。。。としていた。
心が静かだった。
静かなのは、自我の声だった。
自我が、何も喋らなかったのだ。
これを平安と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう。
心の訓練をしていると、こういうことがだんだん起こり始める。
うるさかったのは自我の声だった。
私たちの心はほとんど自我の考えに占領されている。
何かしなければいけない焦燥感、未来への不安、誰かへの攻撃心。。
全ての元になっているのは恐れ。
その恐れが自我の思考体系。その思考体系を土台にこの世界は作られている。
作っているのは誰あろう、私。
私が自我とくっついて、この世界を作出し続けている。
さすが元は神の子。腐っても鯛。
創造の力は自我の思考体系と同一化しても、神のまねごととして、
この陳腐な分離の世界を作出し続けている。
だがもうそんな世界もこりごり。
恐れを土台にしてまねごとをし続けるのはやめにしようと思う。
そこには苦しみしかない。
たとえ一瞬の喜びがあろうとも、それはいつも束の間のものでしかなかった。
恐れている自分に気づき、その闇を光に捧げよう。
闇が入っている扉を開き、光の下にさらそう。
闇は光によって、一瞬で消える。
小さな恐れも、大きな恐れも、みんな同じ恐れ。
恐れと一緒になって動き回っていると、自分が恐れていることに気がつかない。
なぜなら私たちは巨大な闇を抱えていると信じて、心の中を見ようとはしないから。
でもそれがいつまでたっても心が穏やかにならない理由。
たとえ見ないふりしようとも、自分が持っている闇をなくせはしない。
だけど不快感を感じることで、そこにある自分の恐れに気がつくことができる。
自我である自分はその闇を消すことはできないが、
実は自我ではない自分がいる。
それは正直に自分が恐れていることを認められる自分だ。
正直に自分が恐れていることを認め、
そんな自分をどんどん赦そう。
どんどん赦すうちに、この世界は本当は実在していないということに、
理屈ではなく、心でわかり始める。
これはただ私が作り上げた夢だったんだと。
絵:アフリカの夜明け
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