自分で決めなければいけない。
自分で判断しなければいけない。
これがどれだけ私を苦しめていたことか!
これって、前提に「ちゃんとした人でなければいけない」
「自分のことはなんでも自分で始末しなければいけない」
「ちゃんと世の中をわかっていなければいけない」
というのがある。
つくしちゃん、ちゃんとしよーよ。
って暗に言われている気がする。
でもつくしちゃんは、実はアホなのでした。
小学校では下から数えたほうが早い成績。高校に至っては、もう目も当てられない。
でもさ。今はネットでなんでも調べられる時代。
鎌倉幕府がいつできたなんて、ささっと調べりゃあっちゅーまに出てくる。
ところがよ。
世の中そう簡単には答えがないものが多い。(鎌倉幕府の成立だって、どうも昔と違う年らしいし)
検索すればすぐ答えが出てくる。
け、ど、
その先には、別の答えがある。
で、その先にはまた別の答えが。。。
ちょっと待て。
答え、どこ?
ある出来事が起こり、みんなが恐怖し、みんなが求めてきた答えは、
一個ではなく、いろんな人がいろんな説を言い、ぐちゃぐちゃになり
曖昧な説が飛び交ったまま、時は過ぎて行った件。。。
これまでにいっぱいあったなあ。
これって、アンガールズの「ジャンガジャンガ~」
の、なし崩し的な終わり方?
大専門家さんの意見が飛び交う世界に正しい答えが見つからないのであれば、
アホな私にわかるはずもなく。
だったら、自分で決めることもできるわけないじゃん。
ちゃんと世の中わかってられるわけないじゃん。
私は何も知らない。
私は何もわからない。
だから判断するのをやめてみた。
ある出来事が起こった時、即座にこれは問題だと思い、それを解決するにはこうするのが一番だと考える。
その「一番いい形」にするためには、まずあの人に連絡して説明し、、、と自動的に段取りを考え始める。
ところがそうはうまくいかない。だんだん焦ってきて、ああやるためにはこうやって、、、と、また頭の中がどんどん加速する。
これをやめた。
実はこれは怖いことだ。なぜなら即座に動こうとするのは「これは問題だ!」と動揺するからで、何かすることでその恐れを払拭しようとしているのだから。
私たちはじっと待つことができない。
この世界は「わかっていなければいけない」世界なのだもん。
しかし「これが一番いい形」とは、本当にそうなのだろうか。
そもそもその形自体が間違っている信念だとするならば?
何も知らないとは、どれが正しいのか言えなくなることだ。
それは別な言い方をすれば、
どれでもいいということでもある。
ここに立つと、何もしなくなる。
焦ってやろうとする動きを止める。ほっておく。
そして、おてんとさまに(聖霊)おまかせをしてお茶を飲む。(飲まんでもええけど)
そうするとなぜか勝手にことは動いていく。
へえーって感じ。
こういう現象を見ていると、私が今までいかに「自分でやる」ことによって、ことをややこしくぐちゃぐちゃにしてきたかが分かってくる。
どだい自分で「これが問題だ!」とか「こうなるのが一番」などと判断などできるわけがなかったのだった。
こういう体験がだんだん増えていくにつれて、
私は何も知らない。
そして知りようがなかったのだ。
ということを知り始める。
私はますますアホになってしまいます〜。
動きを止める、、私が出来ない事であり、怖い事です……
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