2020年7月2日木曜日

過去と未来




久しぶりにお天気です。

ベランダで洗濯物を干していて、クスッとしました。
これから用事があるわけでもないのに、私はあせって干していたのです。

「いつも母に急かされていたからな~~。早く!早く!って。。」
と、あせる自分の理由を母に求めました。

その後ふと、電車の中でスマホを見ている人々のことを思い出しました。

これから会議があるために資料を読んでいる人かもしれませんし、大事なニュースを読んでいるのかもしれません。それぞれに理由はあります。

そしてまた心はここにいることに苦痛を感じているから、それから逃れるために意識をそらしていることもあるのです。

意識は今ここにいることを嫌います。

私もまた、今ここで洗濯していることを無意識に嫌っていたのです。
だからあせって早くこの場を終わらせようとしていたのです。

電車の中の人々は、自身が今そこで電車に乗っていることを苦痛に感じているのかもしれません。その苦痛を軽減させるために、音楽を聴いたり、何かを見ることに夢中になって気をそらしているのかもしれません。


心は未来へ未来へ、次のことへ次のことへと向かいます。
その次のことをしている時もまた、その次のことに思いを巡らせています。
そして過去のことを思い出し、苦しんだりイライラしたり、
その苦しませてくる相手をどうやって対処しようかと、また未来の想定をしています。
その時、心は今にいません。

自我は、私たちを時間の世界に持っていきます。過去と未来へ。
今という時間は、過去から未来へと続く一瞬の通過点ぐらいにしか価値を置いていません。
だから今を退けようと、あの手この手で私たちの意識を過去と未来に釘付けにするのです。
なぜ今を嫌うのでしょうか。それが真実だということを気づかせないように。


けれども本当は今しかありません。いつでも今です。永遠の今です。
過去は頭の中の記憶に過ぎません。
未来も頭の中の空想に過ぎません。

恐れは過去からやってきます。
過去に見聞きした恐ろしい事件、恐ろしい話、恐ろしい経験。
そしてそれを元に未来を予測します。
こうならないように、ああなってはいけない、と。

そうやって頭の中を過去と未来を行ったり来たりさせ続けさせるのです。
その魅力にすっかり取り憑かれた私たち。

過去や未来に意識が行くと、心は縮んだ感じになり、
凝縮したひとつの肉体を持った私が、
たった一人でこの世界を必死で生き抜かねばならない戦士となってきます。


でも私は今、ベランダでシャツを干しています。
シワを伸ばして、パンパンと叩いて、ハンガーにていねいにかけるのです。
久しぶりのお日様が心地いいのです。
目の前の山で小鳥たちが歌っているのです。
川でカジカも鳴いています。

今にくつろぐと、今が浮かび上がってきます。今が満ちていきます。
明日になっても今です。三年後も今です。

今にいる私は、縮み上がった体ではなく、ただそこにあるものです。

リズミカルな電車の音と揺れを心地よく味わっている何かです。







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