2020年7月1日水曜日

この世界







暇です。
畑もやめて、バイトもやめて、コロナの影響で仕事もない。

何もせずにいてみると、心が何かをしたくなります。
心は騒ぎます。
あんたこのままでいていいの。どうするの、将来。。etc。

人は何かをせずにはいられないなあと思います。何かをすることによって、未来の保険を得ようとしている自分に気がつきます。

その根底には、自分は肉体であり、その肉体を維持するために、お金を稼がなければならず、そのためには、何かをしないと生きていけないという絶対的な信念があります。

この世界は実在していて、その中を物質的な私がウロウロしてて、その肉体を生かすためには食料が必要で、食料を得るためにはお金が必要で、、、、と、何かをするのです。

この心の中心にあるのは、恐れです。

私は肉体で、この肉体を維持するために何かをしなければいけないとは、肉体は死ぬという信念から来ています。
恐れの一番は、「自分は死ぬ」ということかもしれません。

死んだら全て終わり。という考えもあります。そうだからこそ、必死でここを生きる人もいれば、だからこそ、死に救いを求める人もいます。また死んだのちの世界に救いを求める人もいます。
どちらにしろ、「死」が私たちの頭から離れることはありません。



暇だといろんなことを考えてみるチャンスがあります。
それは不安の材料になることもありますが、じっくり考えてみる特典が与えられているチャンスとも言えます。

私はいかにこの世界に縛り付けられているかを感じました。この世界だけが世界であり、この肉体だけが私である。精神世界や、哲学を学んできても、どれだけ自分がこの世界を実体のあるものとして信じてきていたかを思い知りました。


過去の自分を思い出します。
どんだけ頑張っても、自分の思い通りにはならず、どんな予想をしてみても、そんな風にはならない。
そういう実体験を通してわかってきたのは、自分が考えているとおりに物事は起こらないってことでした。

すべては唐突にやってきました。
いきなりニューヨークに行ったのも、頭の中で聞こえた「ニューヨークに行け」という誰かの声でした。仕事はどんだけ頑張って営業しても来ず、ある日いきなりまったく知らないところからきました。

つまり何もかもが自分の意図したところとは関係がなかったということに気がついたのです。
頭に浮かぶものは、自分でコントロールできたことなのか?
浮かぶ考えは私が意図して浮かばせたことなのか?

そんなことはありませんでした。
浮かぶものは、不意に浮かんだのです。
来るものは、不意に来たのです。



「起こることが起こってる。全てはシナリオ通り」
という考えがありますが、それだとただ流されるままに動かされている感じがします。
私はそこに魅力を感じませんでした。

起こってくる出来事をコントロールできないとすれば、
たった一つコントロールできるものがありました。
それは見方です。

起こる出来事を今まで通りの解釈、つまり恐れで受け止めていくのか、
そうではない別の見方をしていくのかで、受け止め方が変わります。

私は従来通りの受け止め方ではなく、新しい受け止め方をしていくことを選びました。
従来通りの受け止め方だと、そのまま従来通りにことは起こっていくのでしょう。過去が未来を作るように。

しかし恐れを増幅する選択ではなく、まったく真逆の選択をしてみたら?


私は恐れている自分に気がつき、恐れを回避するためにする行為をやめることにしました。恐れの中でする行為は、混乱しか産まないことに気がついたのです。

この行為をやめるということがいかにパワフルなことになるのか。
「何もしない」ことが、新たな道を作り始めたのです。

そうすると決まって頭の中で騒ぎ立てる自我の声があります。
「どうするの。何もしないで!あんたの将来はとんでもないことになる!」

頭の中で聞こえるこの声は、たいてい脅してきます。私はずっとこの声が自分の味方だと思ってきました。その声が指し示すように、私はこの声に指示を仰ぎ、いう通りにやってきました。だけどどんどん探るうちに、これは恐れの源に過ぎないことがわかってきました。この声が恐れを増幅し、私はこの声に踊らされていただけなのでした。



そしてその声を何度も何度も聞き流すうちに、その奥にあるものを感じ始めたのです。
それは平安でした。

そしてその平安は、かつて感じていたものでした。幼い頃常にずっとそばにいたものでした。
守られている安心感であり、とても暖かく、
その中でいつまでもコロコロと転がっていたい、愛の溢れる感覚でした。


その視点は、この世界を弱肉強食の世界ではなく、緑あふれる美しい世界に見せてくれます。
ああ、私はずっとこの世界を見ていたし知っていた。
ただそれを恐ろしい世界へと入れ替えていただけなのでした。


そしてこのことをきっかけに、この世界での解決策はいつも矛盾をはらんでいて、完全な答えなどないのだと気づかせてくれました。
この世界の大いなる悲しみは、この世界での解決法では満たされることはないのです。


ある出来事があって、私はその解決法を必死になって探りました。だけど誰もが納得のいく解決法などありませんでした。
もともとそんなものなかったのです。

私は解決する方法を半世紀も取り組んできたことを思い出します。
そんなものなどないと気がついた時、なんと解放されたことでしょうか。

私は解決する行為を手放しました。
そして私と共にある、平安の存在に委ねました。

シナリオはどうなるのでしょう。
自我を選ぶシナリオはもう書かれているのでしょう。
自我は過去と未来にしか興味がありません。
過去と未来は同じものでできているからです。

でももう一つの、本当の私を選ぶことは、
どんなシナリオが待っているのかは私は知りません。

きっとそれは喜びに満ちたものになることでしょう。



絵:「雪のマッターホルン」/表紙イラスト


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