2019年10月3日木曜日

一人芝居


責任。

どんなにそのことばに囚われていたんだろう。。。


人に映画を勧めるのは、おもしろいものを勧めなければいけないという責任。

ブログを書く時、誰も傷つけないように書かなければいけない責任。
誰も怒らせないようにしなければいけない責任。
誰にも迷惑かけないようにしなければいけない責任。
そしておもしろいとおもわせるものを書かなければいけない責任。

仕事では、クライアントの期待を上回る仕事をしなければいけない責任。
アイディア、デッサン、申し分のないものを出さなければいけない責任。

料理はおいしいものを作らねばならない責任。
バランスよく料理を作らなければいけない責任。

部屋はきれいにしとかないといけない責任。

責任、責任、責任。。。。。

だれに?だれのための責任?



だれかにここにいていいと、言われるために。
自分がここにいていいと、認められるために。



だれに?
具体的に、だれもそう言ってないよ。
あんたが責任取ってないから、ここにいちゃだめ!なんて。。


自分のため。。?

そうだ。自分のためだ。
それは自分が攻撃をされないために、防御のための防衛策だ。
責任を果たしていると、だれにも攻撃されない。
攻撃されないための「責任」という名の防衛策。

いじめられていたころのことを思いだす。
そうだ。いじめられないためだ。
後ろ指刺されないためだ。

だが。
だれから身を守るのだ?
今、だれが私を攻撃している?


私だ。
私の心だ。


私が私を攻撃しているのだ。
いじめるのは、後ろ指さすのは、攻撃を仕掛けるのは、
わたしだ!

私という名の自我だ。
自分が自分に攻撃を仕掛けて、くるしんでいる。


自分の中の妄想で、人がさも自分に攻撃を仕掛けているかのようにおもい、
怒りとおそれの中で暴走している。




すべて、一人でやっていることだ。
一人の中に何人も役者を設定して、その役者に悪者を演じてもらう。
その悪者と戦うことで、自分を正当化する、そしてここにいていいのだと認めてもらう。
他人と言う名の自分に。

そしてまた、あらたな悪者が現れて。。。。



もうやめよう。
まったくきりがない。

攻撃しているのは自分だと知る。
ではこの攻撃をやめればいいのだ。

そんなこと言ったって、お尻叩かないとのらくらしてたら、
ろくな人生にならないじゃない!


いったい誰が言ってる?
私の自我がそう叫んでいるだけだ。


もうこのお芝居はやめよう。

ひとり狂気の世界。





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