2018年6月10日日曜日

京都の旅 その1



久しぶりの京都は雨が迎えてくれた。
京都駅から206系の市バスに乗って、長谷川等伯の国宝の障壁画を見に智積院に向かう。

込み合う車内で、肌が独特の感覚をとらえていた。

「発車します。。。」
バスの中で運転手さんの小さな声が聞こえる。バスはゆっくりとうごきだした。渋滞する車のあいだをくねくねとヘビのように蛇行しながら走るバスはすぐ大通りの信号で止まった。
「信号待ちです。。。」

そぼ降る雨の中を、観光客や地元の人々が入り交じって横断歩道を歩く。京都独特の風景。信号はなかなか変わらない。
「発車します。。」

やっと発車したかと思うと、すぐまた信号。
「信号待ちです。。」


一番前に座っていた私は、このゆっくりとした時間の流れにとまどいつつも、心はうきうきしはじめた。
ああ、こうだった、こうだった。あの時の京都と、時間の流れはちっとも変わっていない。



39年前、私はこの土地にいた。
高知の田舎を脱出してはじめてうつり住んだところは、日本の文化の頂点ともいえる京都だった。
はじめての人々、はじめての方言、はじめての空気感。太陽ギラギラパッカーンとした高知とはまるで正反対。じっとりねっとりした空気の中に、洗練の美がそこかしこにひそむ。
あれは誰々はんが作らはったお庭。
あれは誰々はんが作らはった茶の道。
あれは誰々はんが描かはった国宝。
あれは誰々はんが見つけはったお茶碗。
あれは誰々はんが作らせたお寺。。。。
道を歩くと、辻ごとにいわれのあるものにぶちあたる。

田舎もんまるだしの青二才が、そんな濃厚な歴史に乗っかれるはずもない。しかもあろうことか美大生のくせに親にナイショで音楽に走り、巨大な京都の文化にひるみまくって素通りして来た4年半だった。

そして今大人に、、、いや初老にひっかかってる私は、京都をえらそげにも余裕を持ってみていた。京都は修学旅行で来て消化できる所ではない。大人になってこそ味わえる場所だ。(じゃ、どこに修学旅行に行くのだ?)


まあそんなことはさておき、今回の旅は、ある日アマゾンからえたいの知れないものが送りつけられて来てから始まっていた。

「これ、なに?」
開けると、小さな箱の上にビーグル犬のような犬が乗っかっている。箱の横には英語で「CHOKEN-BAKO」とかかれている。
「ちょ、ちょけんばこお?」

送り主はアマゾン。そりゃわかっちょる!だからいったいだれやねん!
送り主の所に小さくケータイ番号を見つける。
この数字の並び。どっかに記憶あるぞ。。。
ケータイの電話番号登録ですぐわかった。美大時代の恩師のケータイ番号だった。

「おれの個展に来いよ」
「センセー、金ないよー」
「なら貯金して来い!」
と、SNSでやりとりしたのは、言葉の上でのお遊びじゃなかったのか。。。

恩師のレベルの高いジョークに少々辟易するも、これは卒業後も数々のご面倒をおかけした恩師への恩義をお返しする絶好のチャンス!とおもいたった。

「よし!今から100円づつためると、一年後の今ごろは、三万数千円貯まっているはず!これで京都にいくどーー!」

その日からそのワン公、いや恩師の名前をもじって、「みーちゃん」に毎日100円玉のエサを与えることにした。

みーちゃんの足元にはエサ箱がある。そこにコインを入れると、みーちゃんは首を下げ、がつがつとエサ(コイン)をむさぼるかのように、ブンブンと首を上下左右に激しくふりまわす。それにあっけにとられてみているあいだに、エサ箱はほんの少し傾き、コインは足元にある箱の中に消えていくという寸法だ。
横に書かれた「CHOKEN-BAKO」という文字も、CHOKIN-BAKOのつづりを間違えたものではなく、貯犬箱というなかなか粋なダジャレだったのだ。
やるじゃん。みーちゃん。

とかなんとかいいながら、さすがに50過ぎの大人は子供のよーにずっと無邪気になれるはずもなく、毎回のみーちゃんのはげしいエサのかぶりつきに飽きてしまい、みーちゃんはいつのまにかほこりをかぶってしまっていた。

そうこうするうちに、恩師の個展が近づき、みーちゃんの乗っかっている箱をあけてみた。
貯まっていたエサは、8127円。これじゃ名古屋までもいけない。行くのやめようか。それとも夜行バスで。。。?

その頃ちょうど父の告別式や49日の法要などで行ったり来たりの真っ最中。夜行バスに乗る気力もない。恩師の「貯金をして、、、」という期待には答えられないが、大人なわたしはさっさと足りない分を足して新幹線にぴょんと乗ったのであった。


京都の旅はつづく。。。




絵:紙絵/むかご


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