2017年6月12日月曜日

母への思いと美しい風景


高知に帰って、母を仁淀川のそばにある宿泊施設に、なれない車の運転をして連れて行った。

ここは父方の墓がある所のすぐ近く。小さい頃、両親につれられて山の中腹にある墓参りによく来ていた。今でこそ「仁淀ブルー」と仁淀川の蒼い川が有名になったが、そのころはただの広い川。それでもその川の美しさは幼い私の心を引きつけていた。

フルコースのおいしいフレンチを食べ、母の車いすを押しながら、外に出る。街灯も何もない漆黒の闇にくっきりとうかびあがる稜線。
「うわあ~。きれいねえ、かーちゃん!」
いつも家で見ている、ちょろい高尾山の稜線とは比べものにならない雄大な景色にみとれていた。
「こわい。。。はよう中へ入ろう。。」


高知に帰ると、私は母を少し外に連れ出す。
その時は車いすを使う。帰るたびに歩けなくなって行く母を見る。
彼女は放っておくと、一切外に出ない人なのだ。内臓も骨も筋肉もどこも悪くない。彼女の外に出たくない、歩きたくない思いが、彼女の身体を萎縮させて行く。それが形になって現れていた。

自分が自分の思考や感情を見ることによって、いろんな気づきをえて楽になって来たこともあり、彼女にありとあらゆる方向から話しをする。
しかし、こう言う考えもあるよといえば、
「ほいたら、そうせんといかんがよね」という。
「いや、そうせんといかんがやのうて、そういう別の視点ももってみるってこと」というと、
「ほんなら、そうせんといかんがよね」という。

すべてが「ねばならない」「そうすべき」という、強制的にやらなければいけないのだという発想になってしまう。
きっと彼女は小さい時からそうやって、べきべきの中で、自分を無理矢理押し込めて、べきべきの中で生きて来たのだ。その、どこか「イヤイヤ」な気分でやって来たことの結果が、「なにもしたくない」という今の彼女につながっているのだろう。

いや。私だってそうだ。つい最近まで、その中にいたが、意識化することによって、そのべきべきは消えていきつつあるだけのはなしだ。


彼女の葛藤、私の子供としての彼女への思いの葛藤、ありとあらゆる思いが洪水のように押し寄せて来た。ふとんに入っても、一睡もできない。意識は隣で寝ている母に注がれる。寝息を立てる母。寝返りを打つ母。「暑い。。。」といって顔をしかめる母。トイレに立つ母。。。
介護をする人は、こういう風につねに意識が人に注がれているのだろうな。どれだけ心身を使うことか。

明日もなれない運転をする。早く寝ないと。。。という思いとは裏腹に、どんどん眼が冴える。
私は観念した。
全身で今の感情を味わいつくそうと思った。
そして一晩中起きていた。


早朝、ひとり仁淀川におりる。
丸くゴロゴロした石の上を歩く。川幅は広いが、河川敷も広い。やっとのことで水際に来た。湖面のように静かな水面が、山の風景を逆さまに写している。にじんだような緑の色が私の制作欲に火をつける。

所々に、水の輪がある。なんだろう?とみてみると、ふいに何かが飛び跳ねた。つづけさまに、あちこちから、何かが飛び跳ねる。よく見ると小魚が飛んでいた。あゆだ。緑色の湖面の舞台で、小さなあゆたちがダンスを披露してくれた。

夕べの思いがグッと持ち上がってくる。
深くて静かな哀しみをバックに、目の前にひろがる美しい世界。
私はドラマの一シーンの中にいた。

かなしさも美しさも、すべてひっくるめて、この世は美しいな。。。

そう、ひとごとのようにおもえた。


 絵:「田舎の家のたたみ方」/MF新書表紙イラスト

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