2015年1月26日月曜日

エゴは幸せを望んでいない



こないだね、電話ですっごくほめられたの。もう顔から火が出るほど。
天にも昇るよーな気持ちにさせてくれたそのお言葉。

そしたら不思議なことがおこった。
その言葉を聞きながら、心がこう叫んでいた。
「やめて。もうやめて!お願いだから!もう、それ以上言わないでええええ~~っ!」ってね。
すると、もうひとりがこう言ったの。
「はやくその電話を切って。そしたら、その言葉を他の人に自慢できるから!」

。。。なんじゃこりゃ。

やまんばはずーっとその自分の心理を考えてた。なんで?

「もうやめて」という言葉が出る理由は、
「わたしはそんなふうにあなたが思うようなすばらしいニンゲンじゃない。それは誤解だ。それ以上ほめられたら、きっとわたしの能無しがバレてしまう。だからもうそれ以上聞きたくない!」と。

自分が、自分がよろこぼうとすることを止めている。その言葉を受けて、弾けようとすることを止めているのだ。その理由は、弾けたって結果的に能無しがバレてしまうのだから、後で自分が辛いおもいをする。そんな結果になるのなら、最初っからよろこぶんじゃないよ、と自分に戒めているのだ。
そしてそういいながら、「後で人に自慢できる」と、快楽を求めている。

つまりエゴは、「小さなよろこび」だけを求めている。


わしらは自分が「考えている」ものに乗っかっている。
最近、やまんばは自分の中に浮かぶ言葉を疑いはじめた。そこに怖れがあるのか、ないのか。そこに分裂はあるのか、ないのか。

エゴは、幸せを望んでいない。そう思ったとき、まさか!とおもった。
しかし今までの自分の行動や考え方を観察してみると、よろこびよりも、苦悩をえらんでいる。
ちょっと楽しんだりよろこんだりすると、
「おいおい、いつまでもそんなに舞い上がってんじゃねえぞ。調子に乗るなよ」
とチャチャいれてくる。すると私は、
「あ、はい、わかりました。そーします」と、よろこびを抑えてしまうのだ。
そしてまたいつものよーに、「あれがいけない。これもまだ足りない。私のここがダメ」といけない部分ばかりをみつけだしては、「まだまだだ。。」と苦悩にひたるわけだ。

これでエゴは存続できる。エゴさんは、エゴさんの居場所を確保できる。否定の中に没頭してくれればくれるほど、恐怖の中に没頭してくれればくれるほど、いつまでも居続けることができるのだ。

これ、お化けといっしょだ。
こわいぞ~、といわれて、ひえ~コワイコワイ。って耳をふさぎ、目を閉じて、その怖さの中でいる以上、その怖さは消えない。でも勇気をフリシボって、目を開けてまわりを見たら、「あれ?なんかあった?」ってぐらいあっという間に消えるものだ。


エゴの動き以外の別の存在がある。それはインスピレーションや内側からわきおこる何かだ。
やまんばはそっちにフォーカスしたい。だからよろこびをあえて選択する。

ほめられて天にも昇る気持ち。この気持ちをそのまま自分で受け取る。ありがとう。いただきます。胸の奥がじーんとあつくなる。そのじーんを受け取る。そこに抵抗するエゴさんの言葉に耳を貸さない。じーんと来る感覚は、まわりに影響しはじめる。それを見て、また私も影響を受け、相乗効果を生み出す。

エゴの言葉をえらんで、苦悩と心配を選択し、苦しみの相乗効果を味わうも善し。
よろこびをえらんで、しあわせの相乗効果を味わうも善し。




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