2014年12月11日木曜日

言葉にならないものは言葉にしない



人と会えば、いろんなおもいがあるのをしる。
色んな考えを色んなふうに。
やまんばはそんなおもいを聞きながら、色んなふうに感じる。

家に帰って、今日あったことを思い出す。
するとそこから言葉が生まれようとする。言葉は限定的だ。

言葉の色に乗って、感情が生まれはじめる。
その感情はとっても限定的だ。
怒り、悲しみ、惨めさ、苦しみ。。。せいぜいあって、5、6個の感情の種類。

いや、ここにあるおもいは、そんな6種の数で数えられるような、単純なものではないと感じる。

そこで心の中のいろんなおもいを、言葉に乗せず、ただおもいがあると、感じていようと思った。

すると心の中は、万華鏡のように、色鮮やかな幾何学模様の風景が繰り広げられていた。
やまんばはそれを、何にひとつ言葉に置き換えず、ながめているのだ。そうやって味わっていると、やがてどこかで消化されて消えていった。。。。


不思議な体験だった。
人の心の中は、言葉にならないおもいをいっぱいもっているのだとおもう。
それは言葉にしなくていいのだ。
言葉はあまりにも限定的だ。
言葉にすれば、そこに善悪の2元性を生み、直後に必ず感情を引き起こしてくる。

今度はその感情にカラダが反応し、左脳は「これをなんとかしなきゃ」と対策を練りはじめる。
そこから混乱が生まれる。
そうやって人類は傾向と対策に明け暮れてきたのだろう。


初めに感覚がある。
感覚は、ただ感覚としてそのまま味わう。

それが今に生きているってことじゃないだろうか。
そこにはエゴの関与するところがない。



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