2014年7月1日火曜日

善悪の土俵



わたしたちは、これまでいけないことに目を向けることをしてきた。悪いもの、いけないものがこの世の中と自分の中にある。だからそのいけないものをとりのぞくと、幸せになる、と。そういうものだと教わってきたし、信じてきた。

では、いけないものはなくなったか。
消してきたものは山ほどある。そうだ。今までうんといけないものは消してきたし、悪も排除してきたのだ。
じゃあ、わしらはしあわせになったか。

べつに。
とゆーか、なんだかちっとも幸せにならない。はぶいて取り除いて切ったハッタをして必死でやってきたけど、ちっとも楽にならん。なんでやねん。
いけないものは取り除いてこそ、幸せになるっちゅー法則やったんちゃうんかい!

と、ここまであくせくバタバタやってきたやまんばだったわけだが、なんだかだんだん違う視点をもちはじめたんだ。
いいことといけないことの土俵に立っても、延々とあっちこっちするだけで、ココロの監獄ロックが鳴り響くだけだったんだ。いえ~い。


世の中には、善悪の考えがある。
それは時代によって、国によって、家族によって、コロッコロ、ほんと見事によ。コロッコロ変わるんだ。そんなコロッコロ変わる善悪の価値観の中で、人々はあっちにふられ、こっちにふられする。東に良いものがあると聞くと、行って出かけていってそれを買い求める。西に良い教えがあると聞くと出かけていって、教えをこう。北に良い国があるともてはやし、南に悪い国があるといっては非難する。

どっちにしたって、善悪の土俵の上でハッケヨイノコッタをしているだけなんだ。これってさあ、うおー!ってもりあがれるけど負けちゃったらくやしい。次の試合ではあいつをナントカ倒してやろうなんてぶつぶつ考えている。
つまりいつでも感情的な思いにふりまわされているど真ん中にいるわけさ。だからいけないものを必死でのぞこうとする。

だけど敵はその土俵の中にしかいないのだ。
悪はその土俵の中にしかいないのだ。
私たちはその土俵しかないと教えられてきたから、土俵しか目に入らないだけなのだ。問題を見つけてきては、その土俵にあげて、それと戦う。それが人生だと教えられてきたし、私らもそれが人生だと信じてきた。

だけどやまんばはもう疲れちゃったのだ。いくら悪を倒したって、また次の悪がやって来る。
なんでや?それはじつは自分で悪を「作っている」からだ。それは悪がこの世にある!と「信じて疑わない」からだ。悪をどこからか見つけてきては、「それが問題だ」といい、それを心の土俵上にあげる。そして腕組みをしてウンウン言って、それと戦いつづけているのだ。


違う視点があるのに気がついた。なあ〜ンだ。いままで土俵しかないと思ってたけど、天井も床もあるじゃん。んで国技館の天井に張り付いて相撲を観戦したわけさ。すると自分にはいっぱい善悪の価値観があふれていることに気がついた。そりゃあもー、地球上の細菌の数ほどあるにちがいないとおもえるほどの。
目の前がくらくらした。
「こっ、これを取り除くにはどんだけ時間がかかるンだあ?」と。
だけどね。ほら。「取り除く」と思ってる。思いっきり今までの方法論のまんま。

そう。取り除くんじゃないんだ。取り除くという考えは、土俵の中にいるからだ。
天井に張り付いてみていると、どこかで深刻ではなくなる。
ただそういう考えをもっている自分がいるんだということに、そのつど気がつきつづけるだけなのだ。。。


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