2013年9月10日火曜日

白い箱の中の彼女



最後に彼女にあったのは、広尾だった。
あれから約2年、彼女は見慣れないお化粧をして、白い箱の中にいた。

もともと美人だったのに、まったく化粧っけがなく、大きな声でバカ笑いをする。黙ってりゃとってもモテたはず。だけどそんなことはおかまいなしだった。
豪快で行動的で華やかでありつつ、そうかと思うと一転して密やかで、内面は地道な女性だった。

知り合ったのは、お互い20代のおわりごろ。銀座にあった、今はなきとあるギャラリー。いつのまにか常連さんになって、ふたりでいつも一緒に騒いでいた。酒飲みで、飲むと大騒ぎする。私も一緒になって悪ふざけ。

その日もいつものように彼女は大騒ぎしていた。だがある一瞬、彼女の顔は急にまじめになり、真正面から私を睨みつけた。そして、
「つくし。あたしはあんたのことずっとみてるからね!」
と、すごんだ。

いまでもあのときの目は忘れられない。あの言葉は何を言わんとしたのか分っている。時々その言葉を思い出す。それがあるから自分を戒めてきたともいえる。

だがその目は今、どこからわたしを見ているのか。
あの白い箱の中で閉じられていた目はもう開けられることはない。

読経を聞きながら、とめどもなく涙があふれてきた。
彼女は今どこにいるのだろうと、写真に目をやる。すると座って足をピコピコ動かしながら、お菓子を食べてる彼女の姿が目に浮かんだ。にやにやしながら私を見ている。

「こらあ、笑うんじゃない」
心の中で彼女に言った。
涙が消えていった。

人の死は荘厳だ。
無念とか悔しさとか哀しみとか、そんな感情を凌駕してしまうような、聖なる瞬間だ。


彼女の壮大なる人生に、「乾杯!」。

2 件のコメント:

  1. まいうぅーぱぱ2013年9月11日 12:02

    人間いつか死ぬ、のは間違いないので、死ぬ時に本人が、どう感じてたか、でその人生が幸せだったか決まるわけで、ということは、他人があれこれ想像するのは、自己満足の世界。
    とはいえ、そうやって、彼女(彼)が、どうだったはず、ああだったはず。って記憶をたどるのはとってもいい供養だと思います・・。
    思い出してくれる人がいるだけで、幸せだったんじゃないでしょうか。

    返信削除
  2. ありがとうございます。

    返信削除