最後に彼女にあったのは、広尾だった。
あれから約2年、彼女は見慣れないお化粧をして、白い箱の中にいた。
もともと美人だったのに、まったく化粧っけがなく、大きな声でバカ笑いをする。黙ってりゃとってもモテたはず。だけどそんなことはおかまいなしだった。
豪快で行動的で華やかでありつつ、そうかと思うと一転して密やかで、内面は地道な女性だった。
知り合ったのは、お互い20代のおわりごろ。銀座にあった、今はなきとあるギャラリー。いつのまにか常連さんになって、ふたりでいつも一緒に騒いでいた。酒飲みで、飲むと大騒ぎする。私も一緒になって悪ふざけ。
その日もいつものように彼女は大騒ぎしていた。だがある一瞬、彼女の顔は急にまじめになり、真正面から私を睨みつけた。そして、
「つくし。あたしはあんたのことずっとみてるからね!」
と、すごんだ。
いまでもあのときの目は忘れられない。あの言葉は何を言わんとしたのか分っている。時々その言葉を思い出す。それがあるから自分を戒めてきたともいえる。
だがその目は今、どこからわたしを見ているのか。
あの白い箱の中で閉じられていた目はもう開けられることはない。
読経を聞きながら、とめどもなく涙があふれてきた。
彼女は今どこにいるのだろうと、写真に目をやる。すると座って足をピコピコ動かしながら、お菓子を食べてる彼女の姿が目に浮かんだ。にやにやしながら私を見ている。
「こらあ、笑うんじゃない」
心の中で彼女に言った。
涙が消えていった。
人の死は荘厳だ。
無念とか悔しさとか哀しみとか、そんな感情を凌駕してしまうような、聖なる瞬間だ。
彼女の壮大なる人生に、「乾杯!」。
人間いつか死ぬ、のは間違いないので、死ぬ時に本人が、どう感じてたか、でその人生が幸せだったか決まるわけで、ということは、他人があれこれ想像するのは、自己満足の世界。
返信削除とはいえ、そうやって、彼女(彼)が、どうだったはず、ああだったはず。って記憶をたどるのはとってもいい供養だと思います・・。
思い出してくれる人がいるだけで、幸せだったんじゃないでしょうか。
ありがとうございます。
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