ニンゲンの行動の動機は、
「なんだかしらんが、ただやりたい!」
という、わけもなく起こる衝動と、
「やらなければいけないから、やる」
という、わけありの行動がある。
フォレストガンプはひたすら走った。走りながらレポーターに聞かれる。
「どうして走っているのですか?」
「走りたいから」
このわけもなくやりたい衝動は、子供の頃あった。
だけど、大きくなるにつれて、わけもなくやる行動が、わけありの行動に変わっていく。
わけありの行動がはじまるのは、自分以外の存在がきっかけを作る。
ただ何か描きたくて、ぐるぐると木の棒で地面に線を描く。
するとおかあさんにほめられる。
「あら、上手にかけたわねえ」
えっ?
心がなんだかわくっとする。お母さんがほめてくれた。
このよろこびは、また次のよろこびをほしがる。
ほめてもらおうと、意図的にお日様を描いてみたりする。
「アーラ。それお日様ね。じょうずねえ」
おおおっ!
すげーじゃないか。もっと描こう。
この時点で、すでにただ描きたいという衝動は消えて、わけありの行動に変わっている。
「ほめてもらうため」に描くというわけだ。
すると絵を描く目的が、「ただ描きたいから」ではなく、母親にほめてもらうために描く、というものに変わっている。だから描けば母にほめてもらわなくては困るのである。
ところがそういう時に限って、知らん顔されたり、
「ここ、おかしい。もっとこういう風に描き直しなさい」
とか言われちゃったりする。
すると描くことによって得られたよろこびは、苦痛へと変わる。
だからあせってもっと描く。
ほめられてうれしいというおもいは、ほめられなければかなしいというおもいも同時に生み出している。
「ほめられて育つタイプ」は、なかなか言い得て妙なことばだった。
しかしこれは、もう一つ別の面ができる。
「ほめられて育つタイプ」は、つねにほめられようとする。
だが他人はそうしょっちゅうほめてはくれない。ほめられないとおもしろくない。
だからそのうちすねる。
わけありの行動は、人にほめられたいというモチベーションによって動いている。
だからどこかで誰かが見てくれていないといけないのである。
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