「おれは悪くない!」
そうです。あなたはなんにも悪くない。
あなたはあなたの生まれ育った環境からその道理を学んで実践しただけのことなので、完全に正しい。
そして相手も、完全に正しい。なぜなら、その相手も生まれ育った環境から道理を学んでそれを実践しているのだから。
どっちも正しい。
正しいことをそれぞれがやっているだけで、それを「おれが正しい」と主張するのがケンカと言う。
ケンカがいつまでも収集つかないのは、自分の正しいことの主張に忙しくて、相手の正しさを見る余裕がないからである。
ほら、ケンカしている二人を第三者がはたからみてると、
「そりゃ、そっちの立場になりゃ、怒るのも無理ないわよねー。だけど、あんたの気持ちもワカランでもない」
と、どっちの立場も見れる。すると、どっちも正しいのがわかる。
中にはどー見てもあんたが悪いってのもあるけど、よーく観察してみると、そのいかにも悪い奴でさえ、そうせざるをえない切羽詰まった何かがある。だからやっぱり彼の立場に立てば、「正しい」のだ。
そう考えると、自分の正しさを主張する必要もなくなってくるんだが、なんでそうなっちまうかと言うと、ここで倫理観が登場する。
小さい頃、とくとくと説かれた「倫理観」である。
人とは正しくなければいけない。
人として間違った行為をしてはいけない。
ニンゲン種は、最初にインプットしたものを疑いもなくそのまんま受け取るようにプログラミングされているらしい。だからおさないころ、じーさんやばーさんや昔話に出てくる倫理観話に完全にヤラレてしまう。人として正しくあらねばならない!と。
なので、相手に「君、間違っているよ」的な指摘を受けると、即座に反応する。「人として間違ってはいけないのだ!」と信じて疑わないから、まちがっているかもしんないの?あたし。。?という恐怖がにょきにょきと海底から現れてくる。その恐怖をふりきるかのように猛反撃が始まるわけだ。
すると相手も「あんたの方こそまちがってるわい」って言い返されたようなもんだから、そりゃあ、またまた反撃するわな。
こーやって、反撃劇場がパンパカパ~ンと幕が切って落とされるわけだ。
その劇場は、当の役者達がぜーぜーいって、疲れ果てて、そのうち「この恨み100年先まで」といったことになるだけだ。
そろそろそこら辺の心の仕組みを理解して、先に進もう。
ようはその倫理観がいろんな考えのじゃまをしている。
絵:「ミステリマガジン」7月号扉イラスト
でた〜!親ぢの色気!ふしぎ〜な、ものがたりです。
0 件のコメント:
コメントを投稿