このところたてつづけに平穏死についての本を読んでいる。
ひとつは「大往生したければ医療にかかわるな」、もうひとつは「『平穏死』10の条件」。
どっちも死に際を、医療とは一線を引きながら、いかに自然に死んでいくかを定義した画期的な本である。
自ら医者でありながら、自分の首を絞めるような本を書くこの覚悟は、なみなみならぬなにかがあったんだと思う。
現代医療のありかたが、死を敗北ととらえ、もはや治る見込みのない状態であっても死を受け入れず、患者さんを苦しみのままにえんえんと生かせ続けるという医療の残酷さ。延命のために施されたものが、結果的に不自然な姿を作り出し、それに抵抗する患者さんを縛り付ける現実。いったん延命治療に入れば、それを止めることは殺人と見なされ、止めることはほどんと不可能なこと。
そしてその反面、延命治療を施さないで死んでいく人々の何とおだやかで静かな看取りの姿。そういうもろもろのケースを事細かに書き記してある。
人はなにかあったら、「どうしよう」といって、なにかしようとする。それの最たるもんが医療じゃないだろうか。そのじっとしてられないからなにかしようとする衝動(いやいや、人類を救うためのものである)が、人の尊厳そのものも無視していってしまうことが起る。
「何かせずにはいられない」結果が、そういう現状や混乱や残酷さを作り出しているのかもしれないとしたら、私たちは何をしているのだろうか。
あえて何もしないことは、どれだけ難しいことであるか。
昔は何も手がないから「ああ、おっちんじまった」で終わるが、なまじっか生かし続けることが出来るまで医療は進んでしまった。だからどこでけりを付けるか判断するのが難しいのだ。
なりゆきにまかせられない。自分で決断しなけりゃいけない。なんてえ難しい世の中なのだ!
だれや、医療を進歩させちまったヤツは!(だれに当たっとんねん)
私も延命はいやだな・・・。
返信削除あと、死ぬ時には酒飲んでから死にたい。
乾杯の前に死ぬのはいやです!!
わしもー!
返信削除乾杯してぐっと飲んでからだな。
知り合いのお父さんは、散歩から帰って、玄関でリポデーを「あー、うめえ」って飲み干して、そのままいっちゃった。