今朝、ここら辺は揺れました。
「ひゃあ〜、ついにきたか!?」
ズズズズ〜〜〜ン、という地響きと揺れ。お、これは近い。富士山辺りだな。テレビつけると、山梨県東部。ここらは地続きだから直接感じるのだ。
さて、そんな「今を生きる」。
よく聞く言葉だ。使い慣れた使い古された言葉だ。
刹那を生きるともいう。
この刹那とは、0.75秒くらいの時間のことだそうな。その一瞬一瞬を生きるという。
しかしこの刹那(せつな)は、なんとなく、せつない、という言葉ににてるから、刹那に生きるとは、なんとな〜く、せつなく生きる、なんてニュアンスで受け取られて、生きるって、せつないことよねえ〜、なんてふうになる。
ま、それはさておき、今を生きるってだいじなことよねえとおもうんだが、さて、心の中は今を生きてるんだろうか。
じつはほとんど、過去と未来で満たされているんじゃないだろうか。
心はいつも何かを考えようと探している。何か自分にマイブームな事。
例えば心配事。
あれが心配、と思っている思考は、過去にその心配事が起ったか、聞いた事がある、知っている。これ、すでに知っている事だから過去。そして心配しているその心は、未来にその心配事が起ったらどーしよー、と思考している。これからおこる可能性の事、つまり未来。
さっき地震があった。
311の再来じゃないか!?なんて心配する。ほら、過去と未来。今を生きてはいない。今は?地震はない。それだけだ。だが、心は何かいつもつかんでいようとする。なぜか。
手持ち無沙汰だから。
しばらく地震の事で心配すると、だんだん飽きてきて、いつも考えているマイブーム心配事に移行する。。。。。
おい、いつ今を生きてるんじゃあー!
例えば楽しかった事。
「あ、あったあった。楽しかった事。ディズニーランド楽しかったなあ。また行きたいなあ。行くためにはお金がいるなあ。あ、行くお金ない。。。やばい。仕事しないと。し、仕事探さないと。。。。私このまま仕事なくなったらどーする?路頭に迷う。ああ、ホームレス。。。いやだ。いっ、いやだ。あんな姿になるなんて。。」
楽しかった事も過去。過去を未来に再現しようとする。再現のために何かしようとする。結局、過去に見聞きした事を思い出し、未来を喜んだりうれいたりして、いそがしい。
おいっ、いつ今を生きてるんじゃあー!
心はいつもなんかを探している。
心が空っぽになると不安になるので、なんかないかと探す。でも知っている事しか知らないので、結局過去の事ばっかりしか思い出さない。すると心は過去を思い出しては未来を想定するというベルトコンベアーに乗る。
結果、心の中はほとんど過去と未来でいっぱいになって、現在がちょろしかないことになる。
とゆーことはなにか。今を生きるって、あほになれっちゅことかいの。
そっ、そーかもしれん。
動物たちは、心配なんてしない。崖から落っこちても、地面に激突するまで、心配も絶望もしない・・
返信削除でも、彼らが阿呆なわけじゃない。と思います。
しかし、こないだのは真下からきたからね。今日のはどうだったの?外にいて知らないんだけど・・・
今日って夕方の?
返信削除スーパーにいたんじゃ。ちょうど、酒のコーナーで日本酒を吟味してた。そしたら足の裏に地面がズズズ〜〜〜ンとかんじたから、
「あれ?スーパーっていつもこんなふうに揺れてるのかなあ?」
とおもったら、まわりの酒ビンがガチャガチャ騒ぎ出して、天井見たら、つりものがゆれてて。。。もっとゆれてたら、わし、酒ビンの中でしゃ〜わせにおぼれていたかも。
なんて考えるのが人間。犬はそんな事心配しない。
シンプル。だけどあほとちゃう。いいなあ。