やまんばが石けんなしで多大なる影響を受けた野人さんは、
「人間は肉食動物だから、野菜なんぞクワンでよろしい」
という(細かい理論はわすれたが、おおすじにおいてそーゆーことらしい)。
んで、インボーロンものを翻訳しておられるタメキヨさんは、
「人間、肉など食ってはいかん。ケンコー的な野菜を食って、科学的なもんなど口に入れてはいかんし、科学的なもんを身体に取り込んでもいかん」
とおっしゃられる。
どっちも健康そうなお二人である(笑)。
野人さんもタメキヨさんのブログもとーっても参考になって、やまんばが大好きなお二人であるが、ここまで正反対の意見をいただくと、どっちがいいねん!といいたくなる。
んでやまんばは、このまっぷたつに割れる意見を、足して二で割ったなら(なんでやねん)、ようするにどっちでもええっちゅうことかいの、と推測するわけである。
物質の中を分解すると、原子があって、その中心に原子核があって、そのまわりを数個の陽子とか、中性子とかのちっこいもんがぐるぐる回っているらしい。(くわしいことはわからんが、そーゆーあたりらしい)ほんでその回ってる空間というのがものすごーく広く、実はその原子のほとんどの面積を占めていて、それがぎゅーっと集まって物質になっているから、もともと物質というものはほとんどからっぽらしい。
と、ゆーことは、肉食っても、野菜食っても、ほとんどからっぽなもんを食っているという事だ。でも、食えば腹は満たされるわけだ。なんでや?人間は空気を食って腹を腫らせているという事か。
ちっちゃい時から「飯を食わんと死ぬぞ」といわれてきたわけだ。「水は2日飲まないと死ぬぞ」と教えられて来たわけだ。
だから飲んで食う。それだけなんじゃないか?
ひょっとしたら、食わんでも生きられるんかもしれん。現に仙人はかすみ食って生きてるし(そこじゃねえだろ)。
ようするに、心が満たされるんじゃないだろか。
「食べると生きられる」という信心と、「これが身体にイイ」という信心が合体すると、「ああ、私ってケンコー的」と、心が満たされる。これが一番重要なポイントじゃないだろか。物質的な事よりも、心が身体に影響をあたえているのだ。
物質の中の原子核や陽子以外の空間の部分は、ひょっとしたら思考や精神や信心や心が占めているんではないだろか。
と、すると、野人さんのように肉食でも生きられるし、タメキヨさんのように菜食でも生きられるのだ。
人間は臨機応変なのだ。
あえて言うまでもなく、人間はゴキと一緒で雑食なので、ゴキ並みに増殖してきたわけなのでないですか?
返信削除ややこしいこと言わないで、ガンガン食えば良いんじゃないでしょうか。多少の偏食OK!ただ、あまりストリクトな菜食主義は、好かないですね・・。
そうそう、なんじゃかんじゃ言わんと楽しく食いましょう。楽しく飲みましょう。
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