2011年12月26日月曜日
自分の過去にひたらないのだ
昨日、過去を捨てた。(えらいおーぎょーやなあ)
自他ともに認める世界一怠惰なやまんば。
NYから日本に戻ってからやった約8年間の仕事。これらの資料や、先方さんとのやり取りの手紙や、自分が描いたラフのスケッチなど、てんこもりに残っていた。かっこよく「過去は振り返らない」とかいーながら、要するに机の下につっこんで「なかったことに」してきた。
自分の過去はなかなか捨てられない。
仕事の度に「う〜ん、う〜ん」といいながら、アイディアの産みの苦しみをへて出てきたかわいい私のラフたち。
「ああ、このときのこのアイディアは良かったよなあ。これ、何かほかのアイディアに使える。うん、きっと使える。とっとこー」
といいつつ、そのまま山積み。ふりかえってみれば、一度もその山をほっくりかえして眺めた事はない。どっかで聞いた事があるよなあ、これ。「いつかは着るかも知れないから取っとこー」といって1年半袖を通さなかったものは着ない。というヤツと似ている。
アイディアをとっとこーとするその心理は、「このアイディアはもうでて来ないかもしれないから、念のため残しておく」という心理的保証を意味する。だがそれって、後ろに「ひょっとしたらアイディアは湯水のように湧かないかも。。。」とおもっているのだ。
なぜ?
湯水のように湧かなくさせているのはだれじゃ。
自分だろ。なぜ湧かない?年がいくから?体力なくなるから?老眼になったから?
脳みそが堅くなってくると思い込んでいるのは私だ。こんなもの誰も証明できない。それが確実かどうかも分らない。
だが過去を残しておけばおくほど、それは机の下にたまっていく。それを「過去の勲章」のように取っておくほうがよっぽど脳みそが堅くなっていくんじゃなかろうか。
机の上はすっきりと広々した方がいい(あんたがいえるんか)。頭の中もすっきり広々した方がいい。スペースがあると、あとからあとからまた何か別のものが入ってくる余裕がある。すると過去に思いつかなかったアイディアがやってくるかもしんないじゃん。
そう思って捨てる事にした。中には、NY時代に私の絵や絵本を評価してくれた雑誌の記事のコピーまである。思い出にひたるにはちょうどいいアイテムだ。「ああ、わたしってすてき。。。。」と。だがそれも捨てた。
そんなものにはひたらないのだ。ひたるのは自分の未知の世界なのだ。やまんばがまだ知らないやまんばの、未知なる部分への挑戦のために捨てるのだ。
絵:『江戸めしのすすめ』MF新書表紙イラスト
過去にひたってる?いんや、温故知新なのだ。
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