2010年5月15日土曜日
人気もん畑
わしらの畑は人気もんである。やたらめったら人がやってくる。たぶん畑に入る道を立派に造ってしまったもんだから、公道と間違えて入って来てしまうらしい。それと下から見上げると、空がそこだけ開けているから、なんとな~く心引かれてしまうのかもしれない。
今日も草刈りをしていると、人の存在にはっとした。ちょっと小太りなおじさんが、大きな白い網を持って空中をふりまわしている。はは~ん、これが噂に聞く昆虫採集オヤジだな。と、離れた所にまた別のひょろっとしたオヤジがいるではないか。いつの間にこのふたりは入って来たのだ?こっちはカメラを持って蝶を追いかけている。
二人とも私の立っている畑の中をうらやましげにながめている。わしらの畑はそんじょそこらの畑と違って花盛りなのだ。菜の花はもちろん、今は自慢じゃないが雑草の代名詞ハルジオンが真っ盛り。ここまでハルジオンにかこまれた場所はどの野山みたってないぞ。ぶーんぶーんと花アブも飛び交う、昆虫の極楽天国なのである。
畑には花のにおいに誘われてなんだか知らないチョウチョが飛び交っている。かたやそのチョウチョを写真に収めようとよだれをたらし、かたやそのチョウチョを捕まえて自分のコレクションにしようと身構えている。完全に二人は敵対する関係だ。その間に私という存在がある。この畑に入るには私という存在がうっとおしい。しかし彼女にお伺いを立てないと畑には入れない。そこに奇妙な三角関係があった。
「こんにちわ〜」
最初に声をかけたのは私だ。太っちょのおじさんは、無愛想に返事をした。たぶん野山で白い眼で見られているはずだ。このあいだもチョウチョとらせて38年のオヤジがなげく。
「なあ、つくしちゃん、わし、どうしたらいいんかねえ」
なんでもさっき山に入ったら、昆虫採集する輩がいて、彼が珍しいチョウチョを見つけて写真を撮ろうとすると、例の白い大きな網でかさらっていってしまうんだと。ほんで彼の目の前でぎゅっとつぶし殺して採集箱にポイッと入れてしまうんだそうな。頭に来た彼は
「おいっ、自然破壊するな!ただでさえチョウチョが少ないんだ。そんなにとったら、いなくなっちまうじゃないか。とっとと失せろ!」
とけんかしたんだと。
「おれ、大人げないよなあ。でもさあ、頭に来るよな。人にやさしくしたいんだけど、どうしてもあんな連中はゆるせねえんだ」
私から小林正観さんの本を借りて読んでから、妙に仏教っぽくなったオヤジ。自分の暴力性と理想の姿とのギャップに苦しむ姿がかわいらしい。
「でもさ、それは部分的な話じゃない?チョウチョ殺す人を怒ったら、肉食べる自分の事も怒らなきゃいけなくなるじゃん」
「おれ、肉食べないもん」
「じゃ、野菜は?野菜も殺して食べてんだよ」
「うん。。。そうなんだけど。。でも倫理の問題だろう」
「じゃあ、ガはいいけど、チョウチョはダメっていうの?そのちがいはなに?これは難しい問題だよ。
だけど、いつもそういう人とであって怒ってるよ、おやっさん。そうやって昆虫採集する人を怒ってばかりいたら、その人たちはなぜかいつも決まってオヤジさんところにやってくるみたい。逆に心がそんな彼等を呼んでいるじゃないの?」
太っちょオヤジはそんなやり取りを味わってきたに違いない。どこかぴりぴりしたその反応で分る。もしかしたら、そのケンカした彼なのかもしれない。
私は何も言わず、好きにほっておいた。それから野良仕事をやめて大根の莢を食べながら、オヤジさんの仕事っぷりを眺めた。チョウチョがひらひら飛んでいる。彼は網をかまえる。じっと近くまでいき、さあ〜っと網が宙を舞った。
ひら〜っ。。。
チョウチョはどこ吹く風とあちらに飛んでいった。私は思わず笑ってしまった。
「あっちに飛んでいったよ〜」というと、太っちょオヤジは
「あっ、ありがとうございます!」といった。失敗したところを観られたはずなのに、なんだか嬉しげに答えた。そしてしばらくして、
「どうもお邪魔しました!」と深々と挨拶して出て行った。ホントは彼はいい人なのだ。人は受け入れられると素直になるのだ。
もう一人はまだ畑のそばにいた。
「あのう〜〜〜〜。そこにいるチョウチョ撮らせてもらっていいでしょうかあ〜〜〜」あーあ、やっぱりそう来たか。
「ここ畑なんで。ちょこっとだけですよ」
「ありがとうございます〜」ヒョロ〜っと入って来た。
おっかなびっくりチョウチョを写している。その腰つきがおかしい。まだ素人さんとみた。しばらくほってあったが、きりのいいところで近寄って「いいの撮れました?」と聞いた。
「ええ、ええ、今さっき撮りました。動画で撮ったんですけど、あっ、、あれえ?こっこれ。。。ああ、再生できない。。。」
やっぱり。
「ナントカカントカ蝶がいるんです。これはまだナントカと言う木が生えてるからなんですね。このチョウチョはその木の葉っぱしか食べないんです。だからこの辺りにその木が生えているという事なんです」
「へえ、お詳しいんですね。それでその木はどの木ですか?」
「はあ、それがよく知りません」(なんじゃそりゃ。)
二人で山の方をみながら、しばし木の事についておしゃべりをした。
帰りがけ、彼は独り言のようにいった。
「ああ、まだこの蝶がいるんだ。じゃ、まだ大丈夫だ。。。。」
何かを安堵するような言葉だった。
この辺りにはまだ自然が残っている。。。そういって彼らは彼らなりのやり方で味わっていった。
どこにどっちが悪いといえるだろうか。昆虫採集が高じれば、絶滅するのだろうか。自然破壊はもっと大きなカタチで行われているんではないだろうか。たとえば農薬や化学肥料を使われた土壌が自然に変化を与えるように。そしてそれが昆虫たちに影響を。。。?いやいや、そんな部分的な話ではないような気がする。昆虫がいなくなったのも、山の木が変わり始めたのももっと大きな摂理が動いているような気がするのだ。
だから山であった人たちが小競り合いをするのは意味がないように見える。太っちょおじさんもひょろ長おじさんもこっちが心を開いたら、何の事はない、いい人たちだった。むしろその事のふれあいの方が今のこの時代は最も大事な事のように思えてくる。
傷つきたくない。自分の存在を受け入れて欲しい。今の日本はその思いで溢れている。それがニューヨークから日本に戻って一番最初に感じた今の日本人の心だった。
大人も子供もおじいちゃんもおばあちゃんもみんな恐れている。何かに震えている。かえって早々、閉じているとか開いているとかいう変なコマーシャルのコピーもあった。そんなものに知らず知らずの間に心が影響されてしまうのかもしれない。相手が何を考えているのかさぐってさぐってあげくの果てに無視を決め込む。そんな悪循環が繰り返されている。
自然破壊よりもっと早急なとりくまなけれなならない問題がある。ホントは人はみんないい人なのだ。やさしいのだ。お互いを受け入れあってこそ、自然破壊は終わっていくのではないのか。
絵:コージーミステリー表紙
こんにちわ。
返信削除大根の莢、食べて頂いててなんだか嬉しいです。ピリ辛で、つまむとお腹空きませんか?(笑。
ウチも放ったらかしの畑ですが、時折、苗を植えるために部分的に草を取ったり踏み倒したりします。
でも、一息ついて振り返ると、その跡が何だか痛々しくて…。
雑草茂りまくりの中にちょろちょろ作物が実っている畑の、(おそらく手前味噌ですが!)・・・あの風景から感じるとてつもない『豊かさ』は、言葉には表し辛いです。
みーんながこんなふうに生きてけば、世界中の問題はぜーんぶなくなりそうな気さえします。…多分経済が回らなくなりますけどー!(笑。
こんちわ、くるりさん。
返信削除莢うまかったっす。ちょっとからくて。思わず友だちにあげました。おしえてくれてありがとう。
草刈ると痛々しく見える気持ち分ります。私も迷いながら葛藤しながら刈っています。刈っている最中に野菜を刈ってしまって、「あっ、ごめん!」なんて言う私がいるんですが、よく考えれば、野菜だけにごめんはないですよね。草さんにはばっさばっさと大量破壊してるんだから。
でもこのとき、考え葛藤する事こそが大事な時間なんだと思います。草刈りの時間が一番の自然栽培の深いところなんじゃないでしょうか。
くるりさんもあの豊かさをご存知な方なんですね。アレは一度味わうとやめられませんよねえ。経済は回りませんが。
まぁ、趣味目的でちょびっと採集したり、子供が遊びで捕まえた位で、いなくなるような状況こそが危機だよね。
返信削除すでに全滅状態なのでは・・・。
ちなみに、戦争では、3割戦力がへると、全滅。つまり戦闘を行えない状態。とされるようです。
いまや、雀も7割以上減ってるようで、これはもう、殲滅状態でしょう。
ミツバチやアゲハチョウ、あと昔ながらの親切な人々も、絶滅状態でしょう。
すごい!
返信削除「昔ながらの親切な人」絶滅危惧種に指定されましたー。
戦力3割減っただけで全滅なんですか。味方が3割へったら、とっととお国に帰るのがいいのですね。
今日雀を庭で見つけた。思わずいとおしくなったりする。で、わしらの畑はその絶滅危惧種をハルジオンで育てて、日本中に解き放つのだあ〜〜。
ハルジオン、花盛りなんですね。野次馬ついでに見に行かなくちゃ。
返信削除ハルジオン、別名、貧乏草でしたっけ。ひどすぎない?
貧乏草だなんて失礼しちゃうよね。
返信削除花がつぼみのとき、ゆがいて(ゆでて)たべられる。シュンキクの、もちょっとアクの強い味。そんな雑草食べてるとなんかびんぼーくさいから、貧乏草なのかなあ?
そろそろその貧乏草も刈りられつつあります。
いつでも野次馬しに来てください。