2009年5月11日月曜日
ヒナの死
「ギーッ、ギーッ、ギーッ」
コゲラの声が庭に聞こえる。口にはいっぱいヒナに与えるための虫をくわえて。
私は心が苦しくなる。
「もう、君のヒナはいないのだよ。エサを持って来ても、もう食べてくれるヒナはいないのだよ」
心の中でつぶやく。それでもコゲラの親はえんえんとエサを持ってきては、うちの庭のウメの木に作られた巣穴にやってくる。しばらく木のまわりで鳴いて、どこかに飛んでいき、そしてまた新たな虫をくわえてやってくる。
きのうの朝9時頃、異様なコゲラの鳴き声で、庭を見た。私が一番怖れていた事が目の前で展開されていた。コゲラの巣の中にへびが入っていく.....。
私はあわててダンナを呼んだ。彼は勇気を振り絞って、軍手でへびをつかんだが、へびはそのままするするっと、コゲラの巣穴に入ってしまった。その間、コゲラの親は口に虫をくわえたまま、「ギーッ、ギーッ」と鳴きながら木の周りをぐるぐると回る。途中で口のエサを落とす。親の本能なのか、鳴きながらまたそこらへんで虫を捕まえている。
そんなシーンを見ながら、私は感情的になった。心が動揺して、まさに今巣穴で展開されている「残酷なシーン」を思い浮かべていた。心臓はバクバクして手足は震えて心は悲しみでいっぱいになった。「どうしよう...どうしよう....」
でも何もなすすべはないのだ。全ては自然の摂理なのだ。へびだって食べなきゃいけない。そのへびだって、やがて大きな生き物に食べられる為に、ヒナを食べているのかもしれないのだ。わかって入る。わかっているけれど、こんなに身近で見せられると冷静さに欠いた。
2週間ほど前、庭の木の影で何かが動いていた。目を凝らしてみると、うちの庭にあるウメの木に、一羽の鳥がくちばしをたたきつけている。キツツキの仲間のコゲラが巣を作っていたのだ。あんな小さなからだでどこから力が出るのか、小さなするどいくちばしは、ウメの木の脇腹をつつき続け、自分が入るほどの穴をあけてしまった。それから今度は中に入って、穴を広げはじめた。1、2分ごとに顔を出しては、口いっぱいにくわえた木屑を器用に外に放り投げる。その姿はとても愛らしかった。
コゲラが巣を作る木は枯れるとか言われている。最初はいやな気持ちになったが、その姿を見ているうちに情が移った。
それにしても何という低い位置に巣を作るのだ。地面からから50センチ。普通は10メートルぐらいの高さに巣を作るというが、何を勘違いしたのか。しかもそのウメの木には、何度かへびが絡んでいた。なんとかうまく巣立ってくれる事を願っていた。
それから子育てが始まった。オスメス共同で子育てをするらしいが、20分おきに虫を5、6匹くわえて戻ってくる。巣穴に入ったかと思うと、2分ほどで飛び出してくる。口にはヒナのふんをくわえて。巣穴は常にきれいにしてあるのだ。それにしてもものすごい労働だ。そんなことを一日中やっている(それを見ている私も相当なヒマ人だ)。
夕方庭にでていると、どこかでシャーシャーと甲高い音がする。夕暮れの闇が迫る頃、コゲラはまだヒナにエサを送り続けていた。それはヒナの声だった。
「あんな声を出してたら、へびが聞きつけちゃうなあ....」と、ふとよぎったのだ。
まさに次の朝、その出来事は起こった。
一夜明けて今日、コゲラはまたエサをくわえてやってきた。心なしか、エサの量が少なくなっている。彼の心に何かの変化を感じ取っているのか。しばらく鳴いてぐるぐる回って、飛んでいってしまった。
あれからコゲラの声は聞かない。彼らの中で何かがふに落ちたのかもしれない。
お山を見ながら、こんな事はこのお山の中に日常茶飯事でおこっている事なのだと、大人の私は自分に言い聞かす。しかしそんなことを言い聞かせても、動揺はおさまらない。それは小さい頃味わった、飼っていた動物たちの死の思い出と重ねあわせているのかもしれない。
(この話はひょっとしたら、つづく....)
写真提供:大作栄一郎氏 「海沼家の庭先のコゲラ」
ひょっとして・・・
返信削除つづいて欲しい。
分かっちゃいるけど、自然の組織は残酷。
そうでうすか~ヘビですか。
おひさしぶり〜。
返信削除そう、あたまではわかっちゃいるんですけどねえ。
ましてこーんなお山近くにいるんですもの。ちょっとは強くなくっちゃいけないよね。
しかしそういう経験を通して、自然の偉大さや底知れない叡智を魂で感じていくんでしょうね。