2009年5月30日土曜日
荒波の中の沈黙
ここんところ、ほぼ毎日何かしら心震わされることが起こる。それは生き物の死だったり、人間関係だったり、仕事だったり、自分自身の問題だったり。いや、何が起ころうと、すべては自分自身の問題なのだ。
ブログとは日記でありながら日記ではない。いざ何が起こったのか書こうとすると、手が止まる。自分の心の動きや何やかやを表に現そうとすると手が止まる。本当はそんなものなのかもしれない。言って楽になるものもあれば、言わないで静かに自己消化するものもある。
荒波の中で沈黙することによって、何か別のものが生まれてくる予感がする。
きのう長い付き合いの友達がウチに遊びにきた。彼もまたウルトラ級の台風のど真ん中にたたされている。不思議なやつで、あまり人がしないような体験を今までいっぱいしてきた。苦境にたたされると、なぜかうちにやって来る。自慢じゃないが、わしら夫婦は彼の人生のドラマをいっぱい知っている。ダンナと私のいいかげんなアドバイスを「そっすね。そっすね」と、聞いているのか聞いていないのかわからないが、合図ちをうつ。
でもきのうの彼はどこか違っていた。あんな荒波の中にいながら、心のどこかが静まり返っている。自分の置かれた境遇を、動物園の園長さんやチンパンジーのやりとり、がんの末期患者の手術などにたとえて笑い飛ばしている。まったく自分を外から引いて見ているのだ。「ああ、鳴門の渦に巻き込まれているなあ〜」と、ぐるぐる回らされている自分を淡々と観察している。そうでなければ、あんなふうに自分の境遇をおもしろおかしく話せるわけがない。
やがて彼は今の状態をみごとに乗り越えていくだろう。
心が振り回されるのは、きっと私や彼だけではないんだろうな。
心の沈黙は、この目に見える世界の外に広がっている、別の世界への入り口なのではないだろうか。黙る事によって膨らんでいく何かがあるんではないだろうか。いろんなヒントやインスピレーション、いいアイディアはそのほんのひと時の狭間にひそんでいる。それは静かな心にしないと聞こえない本当に小さな声。その声は実は宇宙に鳴り鳴り響いている巨大な大交響曲なのかもしれない。
自分の中で常に鳴りまくっているハードロックやベビメタのボリュームをぐわっと下げると、その奥に大宇宙のすごい音楽が鳴っているとしたら...。そしてそれはものすごいエネルギーや創造の塊だったとしたら...。
そんなことを考えて、最近は個人的なヘビメタロック(自己嫌悪菌ロックか?)を消そうとしている。
絵:オリジナル『コウモリ村のミステリー』
2009年5月27日水曜日
小松菜の嵐
小松菜のおひたし、小松菜のサラダ、小松菜のクリームソーススパゲティ、小松菜ジュース、小松菜カレー、小松菜のきんぴら、小松菜の煮物、小松菜のぬか漬け、こ...小松菜の.....、うっぷ。小松菜の海でおぼれそーになる私...。
なんて贅沢な悩みなんだ!!!でももう限界...。
野菜作り若葉マークの私。ちょっと調子こいちゃって、畑の畝に3列ほど種をまいたのが3月の終わりごろ。今、そこは小松菜の青々とした海が広がっている。
ちっちゃいときは、かわいなったなあ。密集してきた所をちょいと間引く。すると増える。(お、いい感じ。)なお間引く。また育つ。(いいかも〜)もっと間引く。意地になって育つ。(え?まだ大きくなる気?)もっと間引く。そして巨大になる!(だれか止めて〜!)
思いあまって近所に配りたい。だけど近所の畑も小松菜で満席。玄関のドアに「小松菜の押しつけお断り」と書いてある(うそつけ)。しかもここまで育ったちゃった小松菜ちゃん。味はと言えば「おりゃ〜〜〜〜〜っ!オレがその小松菜の親分だー!(そりゃ、小松の親分さん)」と、自己主張はなはだしい。何に入れても主張する味になってしまった。ほんのり苦みが....なんてかわいい時期はとっくに過ぎた。ケールまっつあおの苦みばしった男のイキに入った。
近所にやたらと野菜をくれるやさしいおじさんがいる意味が分かったぞ。みんな一度にたくさん蒔いちゃうからなのね。今度から時間差攻撃でやってみるとしよう。
さて、この小松菜をどうしよう?こうなりゃ、花が咲くまで置いておいて、種とって、高尾原産の小松菜にしちゃおうか。え?F1だからダメだって?
何事も体験。いろいろやってみちゃえ。初心者は失敗こいてなんぼなのだ。
絵:ECC英語教材絵本「梨の木」より
2009年5月25日月曜日
かわいい犬だった
あれからずっと雨が降っている。まるで弔い雨のようだ。おとつい身内だけで小さなお通夜があった。それ以来お山はけぶっている。まるでみんなの心が泣いているかのように。
一週間前、犬のグインが突然いなくなった。さっきまで畑の中で遊んでいたはずだった。ふと見渡すとグインがいない。捜索が始まった。「グイン〜、グーイン〜」お山にみんなの声がこだまする。それから夜になった。近所の友だちもいっしょになって探す。玄関は開け放たれて、いつでも帰って来れるようにした。でも戻ってこない。グインのオーナーさんは、インターネットで呼びかける。迷子犬の張り紙を作ってくれて、近所に貼ってくれる人もでてきた。ネット仲間は、みんな心配して情報を一気に流してくれた。こんなとき、人のやさしさが身にしみる。
でも目撃情報がまったくない。ひょっとしたら、近くにいるのかもしれない。
そしておとつい、グインは畑のすぐ下の線路わきで見つかった...。
不思議なことに、鎖の首輪が切れて飛んでいた。グインは犬という人に飼われる存在から解き放たれたかのようだった。いや、きっと自分で解き放ったに違いない。おだやかな顔だった。
私たちが畑仕事をしている間、彼はいつも山の斜面を上がったり降りたりと走り回っていた。うちのダンナが棒をなげてよく遊ばしたものだ。彼はそんな単純な事がことのほか大好きだったようだ。ゼーゼーいいながら、へろへろになっても「もっとなげて〜」とおおさわぎした。犬は笑わないと言うが、グインはいつも笑っていた。犬は笑うのだ。
そんなグインは今静かに眠っている。オーナーさんは、グインを最後までちゃんと見送った。美しい見送り方だった。彼らの愛情が横にいてひしひしとわかる。こんな家族の所にいて、グインは本当に幸せ者だったなあ〜。
私が最後にグインを感じたのは、オーナーさんのお家でのんべしたとき。足元に何かの重みを感じた。テーブルの下を見ると、グインが頭を私の足の上に乗せて寝ていた。私は足を動かさず、じっと彼の重みを感じていた。あのあったかさと、頭の重みは、今でも私の足に残っている。
うちでユタといっしょに過ごした日々を思い出す。グインはチョコレートラブラドールにしては器量よし(?)でスマートな体つきだったけど、ちょっとばかし間抜けでアホな犬だった。さんぽ中にうんこもくっちゃったりもした。ユタに手厳しく鍛えられもした。でもやっぱりいつまでも子供のまんま。あまえんぼでさびしがりや。人が振り向くと、満面の笑顔でしっぽをぱたんばたんと力強くふる。その勢いは、身体にあたって痛いくらい。いつもスイートでハッピーで、そこらに幸せをまきちらす犬。そこがたまらなくかわいかった。
ありがとうグイン。やすらかに。そして犬としてのお仕事、おつかれさまでした。
絵:coopけんぽ表紙『犬はよろこび庭かけまわり〜』
2009年5月17日日曜日
怒りの消去
朝起きたら、なんだかムカムカしていた。
昨日寝る前にダンナと口論になったことを思い出していた。しばらく口論になって、その後お互いが理解して終わった事になっていた。でも起きたらまだ根に持っている私がいる。しつこい。
「いやいや、もう終わったことだ。理解しあったじゃないか。もういいだろ、私」と自分に言い聞かせる。するとますますイライラしてくる。じっとしているともっと怒りが大きくなってくる。困ったなあ。この怒りをどうすりゃいいんだ?
そこである人が言っていた方法を応用してみた。痛みというものは、その痛みを全身で感じていると消えていくという。痛みとは観念である。感情を交えずに、ただ痛みをジッと観察していろ。すると勝手に消えていくものだと。
ほんとかよ?でもまあ、やってみるか。
そこで私は、そのダンナとの会話で作ってしまった怒りをじっと感じるままにした。ふつふつ、ぶつぶつ、イライラ、このやろー!心の中でバンバン広がるままにさせた。ホントはなんてことのない内容だったのだ。ちょっと私がしゃべったことに対して、それは違うだろ、と言われたことだけだったのだ。ちょっぴしプライドが傷ついちゃっただけのこと。なのに、そんなちっこいことに反応する自分を否定すればするほど、内側のモンスターが、「そりゃー、ちげーよ!!!」と猛烈に反発しはじめるのだ。
そういう感情を観察しながら、「あたしって、ちーせーなー」と、思う。そう思った瞬間、「あ、これも『解釈』と言う感情だ」と気がついた。
人は、普通こうだろうとか、そりゃ常識だろうなどと『解釈』をする。これは感情を交えずに観察することとは違う。怒りを観察しながら、解釈という感情をともなってしまっていた。(ややこしーなー)
それに気がついてやめたとたん、ぱたぱたぱたと、怒りが消えていきはじめたのだ....!それはまるで心の中にあった一枚のパズルの絵のパーツが一枚一枚はがれていくように。あっという間の出来事だった。それまで心にいっぱい充満していた怒りは跡形もなく消えてしまっていた。
こんなことってアリ?人の感情ってなんじゃらほい?
どうも「こんな感情ってダメだ!」と否定すればするほど、大きく膨らんでどつぼにはまり、ただその感情を肯定も否定もしないで観察すると消えるようだ。やっぱり痛みもそうなのかな?そういえば、先日母も頭痛を観察してたら消えたと言っていた。やっぱり感情を交えずに、痛みを見ていたらしい。痛みってなんじゃらほい?
痛みも怒りもそこにあるあるって思っているからあるのか?これが私の怒りだー!と握っているといつまでたってもそこにいるけど、はあ、これがその「怒り」ってやつですかと、じーっと観察だけしていると、怒りは「え?私、見られてんの?」と恥ずかしくなって消えていくとか?
なんだかいいかげんなやつだなー。
やっぱし、怒りも痛みもまぼろしなのかな。
絵:オリジナル絵本『ちかてつのおばけ』より
2009年5月14日木曜日
ひょっとしてのつづき
昔は、高知のど田舎に犬に避妊手術なんてものはなかった。もちろん動物病院というしゃれたものもなかった。だからうちの犬ナナは、毎年2回子供を産んだ。普段は見かけないのら犬どもが、ナナがその季節になると、どこからともなくやってくる。ナナはヨークシャテリアの雑種。ケモクジャラで目がどこにあるかもわからない顔をしているが、雰囲気が器量よしらしい。だってなぜかモテモテだったんだもの。(?)
小学生の私はその頃になると、庭先に砦を作る。オス犬の撃退装置だ。魚屋の木箱や、浜に流れ着いた流木をかき集めて積んで雄犬が入れないようにする。万が一潜入に成功しても、その先には針地獄が待っている。私は庭に迷惑なほど育っているうちわサボテンの10センチほどの長さのトゲを一本一本ぬきとり、拾ってきた段ボールに差し込む。ほーら、見事な針のむしろの出来上がり〜。これならあのしたたかなオス犬どもを撃退できると、ほくそえんだものだ。だけどなぜかナナは毎回ご懐妊。散歩の途中でも、私が目をちょっと離した好きに、尾行していた(?)オス犬とおケツとおケツが合体している。
「あ”〜〜〜〜〜〜〜ッ!」私はそこらに落ちていた木の棒で、のら犬をバンバン叩く。が一向にはずれない。まったく。動物の本能とはそら恐ろしいもんである。子供ながらにそう悟る。そしてナナは毎回5〜7匹子犬を生んだ。
子犬たちの目があくかあかないころに、父が一匹だけ子犬を選択する。毛が多く、耳がピンと立ちそうなやつ。選ばれた子犬をナナの元に残して、私たちはある儀式をする。そう、子犬たちを捨てにいくのだ。
段ボール箱に入れられた子犬たちを持って、父と浜に出かける。波打ち際に浮かべられた段ボール箱は、ゆっくりと沖に向かって流れていく。なにかを感づいた子犬たちがミイミイと泣く。子犬たちの重みで段ボールに海水がしみ込み、ゆっくりと沈みはじめた。私の心は締めつけられる。ザザーン、ダッパーン...。波の音の中に子犬の鳴き声はかき消され、やがて段ボール箱は海面から消えていった。
毎年繰り返されたあの儀式はいつまでも私の脳裏に残っている。私が住み慣れた場所の浜には、そういう思い出も残されているのだ。私は心の中で合掌をする。父は淡々としたものだった。彼の胸の内は幼い私にはわからなかった。
家に戻るとナナはすでに事のじたいを知っていた。一匹だけ残された子犬がナナのお乳をまさぐっていた。そうやって残した子犬はある程度まで大きくしてから里子に出された。
その中で一番私が可愛がっていた子犬がいた。コロと言う。コロはコロコロしてケモクジャラで、ナナが生んだ子犬の中で一等かわいい子犬だった。どこに行くにもいっしょだった。
あれはひな祭りの頃。近所の友達が家にひな飾りをしたというんで、コロを連れて見に出かけた。そこは大きな庭を持つお屋敷。コロはどこへ置こうかと迷ったが、近くにあったカゴをかぶせてそこにいてもらうことにした。私は縁側近くに飾られたりっぱなひな壇にみとれた。しばらく遊んで帰ろうとしたとき、コロがいないのに気がついた。あわてて探したが、まもなく見つかった。コロは庭の中程にあった水をはった溝の中で溺れ死んでいた。私がかぶせたカゴのまま動いて、溝に落ちてしまっていたのだ。
そのあとの事はほとんど覚えていない。ただひたすら泣きじゃくりながら、ゆかたにくるまれたコロを抱いて浜に向かった事だけ覚えている。ゆかたはコロのぬれたからだで水浸しだった。
今考えれば、あの時から私の自己嫌悪が始まったのではないかとさえ思う。あの時私がカゴをかぶせなかったら、コロは死なずにすんだ。あの時コロを連れていなければ死なずにすんだ、あの時.....。そうやって何度も何度も自分がやってしまった事への後悔の念が私を押しつぶした。やがてその思いは、私は何かひどい事をしでかす人間なのではないか、という考え方にまでいたる。それが強迫観念となって今の私の性格を作っているのかもしれない。
コゲラのヒナの死も、そんな思い出と自己嫌悪が複雑に入り乱れたゆえの動揺だったのかもしれない。あの頃は一人で悲しさに耐えたが、今はダンナがいる。感情の動きを話す相手がいる。話すごとに、この出来事を心の中で消化する時間も速まってくる。ゲンキンなもので、また次の日にコゲラがエサを運んでやってきた時、「バッカだなあ〜」と、コゲラの行動をどこかで微笑ましく思える私がいた。
人の心とは物質より厄介なものかもしれない。見えないから、消化もせずに押し入れの中にしまい込み、似たような事件が起こると、あっという間にオモテに持ち出してくる。でもそれがなんのことだったのかわかりもせず、ただやみくもに動揺するのだ。
今の時代は感情がむき出しになる。それを受け入れる世の中だ。でも感情とは恐ろしいものだ。いつのまにか自分自身がその感情の渦に飲み込まれてしまう。そして感情の洪水は自分だけでなく、まわりをも巻き込んでしまうものなのだ。
自分が何かに反応する。それには何かの原因があるのだ。その原因をさぐってみると、過去に行き着く。しかしそのときはつらかったが、今それが起こっているわけではない事に気がつく。もう過ぎ去った出来事なのだ。今を生きるとはそういうつらかった過去を、過去として収めていく事なのだろう。きっとコロの事件もコゲラのヒナの事件も、私にとって何かを知るため必要だったものなのだ。それは大いなる自然の営みを歓喜するための、神様からのプレゼントだったのかもしれない。その事がいつかわかる日がくるんだろうな。
ヒャ〜、長くなっちゃった。
絵:COOPけんぽ表紙『ナナと散歩』
2009年5月11日月曜日
ヒナの死
「ギーッ、ギーッ、ギーッ」
コゲラの声が庭に聞こえる。口にはいっぱいヒナに与えるための虫をくわえて。
私は心が苦しくなる。
「もう、君のヒナはいないのだよ。エサを持って来ても、もう食べてくれるヒナはいないのだよ」
心の中でつぶやく。それでもコゲラの親はえんえんとエサを持ってきては、うちの庭のウメの木に作られた巣穴にやってくる。しばらく木のまわりで鳴いて、どこかに飛んでいき、そしてまた新たな虫をくわえてやってくる。
きのうの朝9時頃、異様なコゲラの鳴き声で、庭を見た。私が一番怖れていた事が目の前で展開されていた。コゲラの巣の中にへびが入っていく.....。
私はあわててダンナを呼んだ。彼は勇気を振り絞って、軍手でへびをつかんだが、へびはそのままするするっと、コゲラの巣穴に入ってしまった。その間、コゲラの親は口に虫をくわえたまま、「ギーッ、ギーッ」と鳴きながら木の周りをぐるぐると回る。途中で口のエサを落とす。親の本能なのか、鳴きながらまたそこらへんで虫を捕まえている。
そんなシーンを見ながら、私は感情的になった。心が動揺して、まさに今巣穴で展開されている「残酷なシーン」を思い浮かべていた。心臓はバクバクして手足は震えて心は悲しみでいっぱいになった。「どうしよう...どうしよう....」
でも何もなすすべはないのだ。全ては自然の摂理なのだ。へびだって食べなきゃいけない。そのへびだって、やがて大きな生き物に食べられる為に、ヒナを食べているのかもしれないのだ。わかって入る。わかっているけれど、こんなに身近で見せられると冷静さに欠いた。
2週間ほど前、庭の木の影で何かが動いていた。目を凝らしてみると、うちの庭にあるウメの木に、一羽の鳥がくちばしをたたきつけている。キツツキの仲間のコゲラが巣を作っていたのだ。あんな小さなからだでどこから力が出るのか、小さなするどいくちばしは、ウメの木の脇腹をつつき続け、自分が入るほどの穴をあけてしまった。それから今度は中に入って、穴を広げはじめた。1、2分ごとに顔を出しては、口いっぱいにくわえた木屑を器用に外に放り投げる。その姿はとても愛らしかった。
コゲラが巣を作る木は枯れるとか言われている。最初はいやな気持ちになったが、その姿を見ているうちに情が移った。
それにしても何という低い位置に巣を作るのだ。地面からから50センチ。普通は10メートルぐらいの高さに巣を作るというが、何を勘違いしたのか。しかもそのウメの木には、何度かへびが絡んでいた。なんとかうまく巣立ってくれる事を願っていた。
それから子育てが始まった。オスメス共同で子育てをするらしいが、20分おきに虫を5、6匹くわえて戻ってくる。巣穴に入ったかと思うと、2分ほどで飛び出してくる。口にはヒナのふんをくわえて。巣穴は常にきれいにしてあるのだ。それにしてもものすごい労働だ。そんなことを一日中やっている(それを見ている私も相当なヒマ人だ)。
夕方庭にでていると、どこかでシャーシャーと甲高い音がする。夕暮れの闇が迫る頃、コゲラはまだヒナにエサを送り続けていた。それはヒナの声だった。
「あんな声を出してたら、へびが聞きつけちゃうなあ....」と、ふとよぎったのだ。
まさに次の朝、その出来事は起こった。
一夜明けて今日、コゲラはまたエサをくわえてやってきた。心なしか、エサの量が少なくなっている。彼の心に何かの変化を感じ取っているのか。しばらく鳴いてぐるぐる回って、飛んでいってしまった。
あれからコゲラの声は聞かない。彼らの中で何かがふに落ちたのかもしれない。
お山を見ながら、こんな事はこのお山の中に日常茶飯事でおこっている事なのだと、大人の私は自分に言い聞かす。しかしそんなことを言い聞かせても、動揺はおさまらない。それは小さい頃味わった、飼っていた動物たちの死の思い出と重ねあわせているのかもしれない。
(この話はひょっとしたら、つづく....)
写真提供:大作栄一郎氏 「海沼家の庭先のコゲラ」
2009年5月7日木曜日
悟りとは思い出す事
人は何気ない事でぽっと何かに気がついたり、感じたり、わかったりすることがある。けれどもそのとき、それは言葉にはならない。
ところが、その心の震えや感動は、時とともにだんだんと薄れていく。それは人と比べ、常識というオブラートにくるみ、そのうち「そんなことありえない」「いやいや、今のは気のせいだ」「常識じゃないでしょ」と、だんだん自分で否定していくからだ。
たとえば、へんな生き物を森の中で見たとする。その時にはその自分で見たものをそのまま受け止めている。でもそのあと一歩一歩足を進めるごとに、「いやいや、あれはまぼろしだ」「そんなものいるわけないでしょ」「木の枝かなにかと間違えてみただけだ」と、どんどん自分でみた生き物を否定していく事になる。そしてその話を友達にして「ばかねー。なんかの気のせいよ。」といわれて、「ンだよな。そんなわきゃねえよな。バッカだなあ〜オレ」と一笑にふし、その生き物を見たことはかんちがいの笑い話になり、記憶の蔵の奥底にねじ入れてしまう。
うちのダンナが言う。
「霊感があるとかないとか言うけど、実はみんなあるんだよ。感じているし、見ているんだよ。ところが、霊感があると言われる人たちが、劇的に、こんなふうだった、あんなふうだった!と、声高らかに言うもんだから、『お化けをみるってこんな風なんだ』とか『啓示を受けるって、劇的なんだ』とか思い込んでしまう。でも実際はもっと静かで、ぽっとしたことなんだよ。」
うちの母も、自分の身に起こった霊的な事を劇的に話す。話は何度も繰り返され、そのつどもっと劇的になる。そういう話を聞きながら、私が今まで感じてきたもろもろの事が、なんて事のない出来事に思えてきて、私ってたいした直感も霊能力もないのねと思っていた。霊能力がありそうな人たちの証言と、自分の経験を比べて、自分が感じたり、気がついたりした事が、時とともに一枚一枚紙きれで覆い隠し、結果的にたいした事でないようになってしまっていたのだ。
本当は、人は実はいろんなものを見ているし、感じているし、発見しているのだ。その自分が体験した事を人と比較して消してしまうのではなく、その実体験を大事にする事なんじゃないかとダンナは言う。その実体験を思い出し思い出しするうちに、大事な部分にたどり着くのではないかと。
お釈迦様の悟りは、激しい修行をして得たものではなく、ただ自分がすでに悟っている事を思い出す事だった。
ふっと時折やってくるある種の感じやアイディアは、すでに悟った自分が、自分に与えているヒントなのではないだろうか。悟りは外に求めるものじゃなくて、自分の中にすでにある事を思い出す事。
ってことは、人と自分を比べるなんて、まったくナンセンス。私の自己嫌悪虫は、人と自分を比べ、常識と比べて、自分を否定する。これってまったく反対の方向じゃねーかー。
ここんとこ、自分がいかに人と比較して生きていたのかを知る。なさけないのー。
絵:ECC教材絵本『一寸法師』より
2009年5月6日水曜日
ぽけっとする時間
今日はゴールデンウイーク最後の日。あいにくの雨。こんな日は窓から見える高尾のお山の緑を眺めながらおいしいコーヒーを飲むに限る。
ひゃー、さいこー。
すると、とつぜん自己嫌悪虫がさわぎはじめる。
「つくしちゃん、あなたなにやってんのよ。こんなときこそ絵を描いて描いて描きまくらないでどーするのよ」と。私はコーヒーを飲みながら「ああ、こんなことやってちゃいけないんだ」と、どぎまぎする。おっと、またひっかかるところだった。
昔、ある有名なイラストレーターさんがおっしゃった。
「とにかく、描いて描いて描きまくるんだ!描きまくって手が覚える。それがすばらしい作品になるんだ!」と。
かっぺのわたしは、
「そうか。描いて描いて描きまくらなきゃいけないんだ!」と思い込む。でも、もともと描いて描いて描きまくるタイプの人間ではなかったらしい。どうやっても描きまくれない。いつのまにか、鼻くそほじくって、あくびをしている。なのにその有名なイラストレーターさんがおっしゃるのだから、描かなきゃいけないんだと強迫観念のように思い続けた。
よく考えたら、描きまくっていないのに、ここまで来れた私がいる。ちゃんとおまんまを食っているではないか。あの話を聞いたのははるか昔の話。なのに呪いのようにあの言葉がしみ込んでいたのだ。
絵描きさんやイラストレーターさんたちで「描かずにはいられない!」という人たちを見かけるが、私は描かなくてもいいよと言われれば、いつまでーも描かずにいられるタイプらしい。お茶と和菓子があればそれだけでしあわせらしい。そろそろ自分の性質を知った方がいい。自分の特徴をそのまま受け入れようと思う。
人はそれぞれ違うのだ。じつはその人は、描いて描いて描きまくることがことのほか好きだったり、快感だったりしたのかもしれない。ただそれだけのことだったのかもしれない。そう思ってしまうのは、彼の最近の作品は、あまりいいとは思えないのだもの。昔のは良かったなあ。
日本人の習慣の中で、「一所懸命やる」「必死でやる」「無我夢中でやる」という事が美徳とされるところがある。私が彼の言葉に強烈に引きつけられたのも、そういう日本人気質の下地があったからにちがいない。
それが出来ない人もいるのだ(ここに)。でも出来なくってもなぜかおまんまを食べていけたりするのだ。宇宙は寛大だー。
人は無意識のうちに、「ああでなければいけない、こうでなければいけない」となにかしらの法則を作ってしまい、それを元に自分をいじめてみたり、他人をいじめてみたりするんではなかろうか。勝手に呪縛の中に入っている。それが自分を不自由にする。自由とは自分が自分から解放される事なのかもしれない。
そう思い直してみると、コーヒーがことのほかおいしくなった。
絵:ECC教材絵本「梨の木」より
2009年5月3日日曜日
草はぬくのか?
畑の草を引き抜きながらふと思う。
これとこれは草で、これとこれは野菜。これは引き抜かないといけないけど、この小松菜は引き抜いちゃいけない、と。
じゃ、なんで引き抜くやつと引き抜かないやつがあるかと言うと、草が生えていると、野菜に行くはずの土の中の栄養を取ってしまうから。
5、6年放置した畑は栄養がないと言う。(人によっては、それのほうが栄養があると言う)でも栄養がないという前提だから、堆肥や石灰や肥料を混ぜ込む。このところ雨が降っていないので、土はからからに乾いている。風がビユ〜と吹く。草一本ない土は軽く、風に舞って目の前が砂嵐になる。目にも入るし、鼻の穴は真っ黒。
ここは砂漠か?
一瞬そんなイメージが頭の中をよぎる。畑のまわりの木々や草はまぶしいほど若葉が茂っている。でもわが畑は、関東ローム層の赤茶けた色の砂漠。その砂漠の中に、小松菜の緑の道ができる。一本、二本、三本....。その間に草が生える。それを引きぬく。
草は悪。草は敵。虫も悪、そして敵。なぜならここには、優先順位というものがあるから。
その有機農法の畑の片隅には草ぼうぼうのエリアが。その野菜のやの字もなさそうな場所で、とうもろこしの芽を見つけたときは感動した。
ずいぶん前に、私がわけがわからないまま、草を10センチ四方くらいむしって、そのまん中に植えてみた種たちだった。目を皿のようにして草の間に何かの変化をさがす。すると、20センチの高さになった草たちの下に、肉厚の双葉が出ているのを発見する。
あれっ?ここには確かキュウリを植えたよなあ...。あっ!これはキュウリの双葉だ!
それからおもしろくなった。
ここらあたり枝豆........。あーっ!カマ持ち上げてる!
げ。おっきな双葉が。なんで?あっそうか、ズッキーニを植えたんだ!わあ、なんてでっかい双葉なんだ!
草の森におおわれて、小さな野菜の種たちは発芽していた。聞くところによると、双葉までは種からの栄養なのだそう。そこから先は、まわりの環境の栄養をもらいながら大きくなる。
そして今は、まわりの栄養をいただきながら、どんどん大きくなっている。
冒頭の草むしりについて思う。
草が栄養を取ってしまうことは、ほんとうなのだろうか。自然の世界は、人間が思うように弱肉強食の世界なのだろうか。
むしろ絶妙なバランスで、全ての生き物が共存する知恵をもって生きているんだとしたら?
野菜ももとは草と同じ位置にいたに違いない。それがある時人間が食べて「こりゃ、うまいわい」と感じ、それを優先的に育て、改良していったものが、野菜なのだとおもう。それはそれでいいことだ。でも排除するものされるものが、こうもはっきりあらわれると、どこかでバランスを崩していくのではないだろうか。
そう思いはじめたのは、私の「勝手に石けんなし生活」がきっかけだった。
悪玉菌、善玉菌、ウイルス、...などと、いろんな名前を付けられ、「こいつは悪い菌」といいがかりをつけられる。それが存在するには、なにかしらのわけがあるのかもしれないのに、「撤去ーっ!」と除去される。
しかも除去するったって、「悪者」だけを除去するなんて高等な事は出来ないから、除去となれば、みんな一掃される。その結果、人間が外からのいろんなものに対処するために作られた叡智(いわゆる善玉菌の部類)までもがとりのぞかれる事になった。
日本人は、歴史始まって以来のこーんな食料の豊富な時代に、なぜこんなにまでのたくさんの種類の病気を抱える事になったのだろうか。人間とはそんなにヨワイ生き物なのだろうか。
菌が汚い、紫外線が怖い、雑草は生えてはいけない、歯は白くなくてはいけない、やせていなくてはいけない、....ありとあらゆるものを怖がり、排除し、予防する。
除去、排除、防御、優先順位.....。誰が決めたのか?
結局、人間が決めたのだ。
そのダメダメ尽くしの中で一体何が生まれるのだ?
私はその除去の一つをやめてみた。
歯磨き粉、石けん、シャンプー、リンス....。あれから一ヶ月半以上たつ。なくなって困るどころかむしろ調子がいい。人間のからだの微妙なバランスという偉大な叡智に、ただただビックリさせられる事だらけだ。菌はどうしよう?ウイルスはどうなるのだ?などと心配して心が小さくなるどころか、むしろ心がどんどん解放されていくのはなぜなのだろうか。
本当は何もしなくても、全ては宇宙のダイナミックな働きによって動かされているのだ。人間の浅知恵ではとてもじゃないが、計り知れる叡智ではないのだ。
野菜は私が育てるのではなく、野菜や、草たちや、土たちや、太陽や、風や、雨や、動物たちや、虫たちの意志の力によって、そしてそれぞれの同意の元で育っていくものなのかもしれない。
人間がえらそうに「これは私が作った作物だ」と言っているのを、彼らは微笑ましく見てくれているのかもしれない。
絵:エルザ表紙 イタリアの田舎道
2009年5月1日金曜日
聖豹紀
ついに出ました、高橋克彦さん名作の復刻版「バンドネオンの豹」シリーズ第二弾!
『聖豹紀(ジャガーセンチュリー)』
今回は第一作めの、物質的戦いとはうって変わって、おねえちゃんは肉体と魂を分けて魂だけで空飛ぶわ、「カメハメハーッ大砲」ぶっ放すわ、チベットのじじいもいっしょになって空を舞うわで、大スペクタクルな巨編となっていました。
よってラッシャイみてラッシャイ、手に汗握る大活劇〜〜〜〜!
ででんでんでんでん.....。
ゲラを読み終わったあとに、こりゃ大変だー、どっから手をつけよう?と迷いましたが、私はその飛び跳ねるお姉ちゃんを描いてみたいと思いました。ところが私はちょいとばかしそのお姉ちゃんに入れこんでしまいまして、おどろおどろしくへび女ののろい風に(?)したくなりました。ところがそこはほれ、デザイナーさんに、「こらこら、本のイメージとかけ離れちゃいますよ〜」と、おこられまして。ちょっとばかし色っぽいお姉ちゃんになりました。すぐ思い入れすぎちゃうんですよね、私。
結果、とっても品のある(ホントか?)表紙になったとよろこんでおります。
第二弾めもなかなか面白いので、ぜひ読んでください!
ちなみに、私は最近宇宙人に連れ去られたイタリア人の本を読んで、おったまげました。
その本によると、人間はサルから進化したのではなく、そこらの爬虫類に遺伝子操作をして人間を創りだしたというんです〜。で、サルはその失敗作だと!!なんだとおー?
でもそういえば、赤ちゃんがお腹の中で成長する過程で、いつまでもしっぽが生えている。直前まで爬虫類とか魚とほとんど変わらない姿をしているのはなぜ?人間の脳みそのど真ん中にある脳みそを『爬虫類の脳』というのはなぜ?
しかも何度も失敗重ねて、人間になるまでの過程で恐竜の時期もあったとかなかったとか。
確かに、私には自分がティラノサウルスだった時代の記憶がある(ほんまかいな)。
ともあれ、世の常識をそのまま受け入れるのも飽きたし、そういう本たちで頭の中をスパークさせるのも、これまた人生の味わいなのではないでせうか。
ミラクルな人生よ、バンザイ!(無責任なやつ)
絵:『聖豹紀』表紙 ランダムハウス講談社