2009年2月23日月曜日
この世のジョーシキ
私の友達は酒飲み。
昨日彼に「休肝日はあるのか?」って聞いたら「ない」という。
「でも風邪引いたら、飲まないでしょ?」と聞くと「いんや。飲む」とのこと。
で、からだはどこも悪くない。
彼の奥さんは看護士。彼女もまた「風邪引いても、風邪薬なんか飲まないわよ〜」だって。
一体どういうことなのだ?
酒は毎日のんじゃダメで、一週間に一日は休肝日はもたないといけないとか、風邪を引いたらはやめに風邪薬を飲む、とか言うのがジョーシキじゃなかったっけ?
でも彼は364日(たまに年に一回ぐらい飲まないときがあるらしい)飲むのに、検査しても何も悪いところはない。奥さんは、西洋医学のど真ん中で働いているというのに、自分は風邪薬は飲まないどころか、子供にも飲ませない。彼女はちゃんと薬で治さない自然な方法を知っているのだ。
そういう話を聞くと心が「うほほ〜」とうれしくなる。
ホントは、「そんな飲みかたしたらダメじゃないの」とか「ちゃんとお薬を与えてあげて!」とか言わないといけないのだろうか。
けど、そんなアドバイスを言った瞬間、心のどこかが不安な気持ちになるのは、わたしだけだろうか。ひょっとしたらそっちの考えは、頭で考えたものなのかもしれない。
その話を聞いた瞬間、心がうれしくなるのは、頭ではなくて、魂のどこかでそのアイディアに同意しているんじゃないだろうか。「そうそう、まさに言えてる!」って。
テレビみてると「あれしちゃいけない」「これしちゃいけない」「転ばぬ先の杖」「用心用心」「まず、自分の身体を疑ってみましょう」「危機感を持ちなさい」「これが今の常識」「今ならまだ間に合う」「行列の出来る病院」「人気のお医者さん」....の、オンパレード。
まるで人間ってとっても弱いもので、何かが起こったらもうおしまいでしょ、それもあなたの自己責任なのよ、と脅迫されているように思える。
そんな言葉を毎日毎日聞かされていたら、そんな気になってこない?
しかも脅しは身体のことだけではない。「アレが怖い」「これが危ない」「狙われている」「次のターゲットはあなたかもしれない」「あなたのとなりに危ない人がいるかもしれない」.......
もううんざりだー!
だんだん頭にきてテレビをブチッと切る。
なんか最近のテレビはへんだ。脅し方が異常だ。そんなに一般庶民を脅してどうするんだ?そんなに危機感をあおってなんのトクがあるんだ?集団催眠でもかけたいのか?治安が最悪のアメリカにいた私にとって、日本の治安は全然ましだと思えるのに。これじゃ、なんでもないことで、道行く人を犯罪者のような目でお互いを見ることにならないだろうか。いつのまにか、息苦しい世の中に自分自身がしてしまわないだろうか。
先日、恐怖で頭がおかしくなった人が取材されていた。彼女は、テレビがあおる恐怖をそのまま鵜呑みにして混乱していた。まさにメディアの被害者以外何ものでもない。でもそれをメディアは報道する。「ほーら、こんな人もこの世にはいるんです。おそろしいですね」と。
誰がそれを植え付けたのだ?
....なんつって、テレビを怒ってもしょーがないのだ。
相手は一方的に垂れ流しする情報。テレビに向って指差して怒っても聞こえないのだ。(はたから見たら、ただのぼやきのばあさん)
ただその情報に飲み込まれないようにする心構えが必要なのだ。
冒頭の彼らは、そんなこの世のジョーシキをひっくり返してくれる。
「心が歓ぶことをすればいいんじゃないですか?」と、うれしそうに笑う彼ら。
おおらかでいいなあ。やっぱ、こうでなくっちゃ。
これからは、心が「うほほ〜」とあったかくなることにアンテナを張り巡らすことにしよう。
ウホホ〜アンテナ。どんな形をしてんのかな?
絵:「自然は緑の薬箱」イラスト「イボガ」
2009年2月20日金曜日
花粉症
春は私の誕生日シーズンだというのに、気が重い。
やってきました、花粉満開シーズンに、確定申告シーズン。
こともあろうに、家の前は杉山。みなさん、花粉が飛ぶ瞬間を見たことあります?
あれは、こう、小麦粉の中に手を突っ込んでむんずとワシづかみにし、花さかじじいのごとくパア〜っとそこらにふりまいたのと、まったく同じ状態。
すると憎たらしいことに、一本の木が花粉を飛ばすと、思い出したかのように、あとからあとから次々とべつの木が噴射するのだ。
ぱっ、ぱっぱっ、ぱぱぱぱぱ、ぱあ〜〜〜〜〜っ、と...!
あたり一面真っ白になり、私の頭も真っ白になる。
そう、私はシチーガールの花粉症。ここいらの人たちゃ、なりもしない病い。一人顔を腫らしマスクで隠して畑する。
どうも何かに集中しているときは、花粉症の症状が止まっている。でもふと「あ、花粉...」とか思い出した瞬間「へっくしょ〜ん!」となるのだ。人は絶えず自分のからだを意識するわけではない。でもこの季節になると、首から上にばっかり意識が行く。気がついたら手がいつも首から上にある。何かしらいじっているのだ。(鼻くそほじっているだけか?)
心が花粉症という言葉に過敏になっているのかもしれない。で、からだもいつのまにか花粉症という症状に過敏になっている...?
意識しないでいると存在も気にしない目や鼻の奥。ひとたび花粉というキーワードに触れたとたん、いきなり目の中がかゆくなり、鼻の中が膨張を始める。心が動揺を始め、何か電気のようなビリビリ感が鼻の先端にまで達したとたん、「へ〜〜っくしょん!」となる。この一連の流れは何なのだ?ある種のパターンを持っているのかもしれない。
私は薬はあんまり好きじゃない。だから飲み薬は飲まない。でもかゆいのは苦しいので、目を洗う薬は使う。のどのかゆさもひどいのだが、今年は新兵器を見つけちゃった。
北海道の友達からもらった『ハッカ油』。これがすごい。鼻が詰まって苦しくなると、ティッシュを折りたたんで小さくし、ほんのちょっとだけハッカ油をつける。たらしてはいけない。ものすごい強いから、吸い込んだら死んでしまう。だから容器のウチ側についた液体を指につけてそれをティッシュになすりつけるだけでいい。それから、そのしみ込んだティッシュを鼻に当てて息を思いっきり吸い込むのだ。
くわ〜。メントールが鼻の中にしみ込んでくる。一気に鼻が通る。
今度はかゆ〜いのど。そのティッシュを口に当てて口から息を吸い込む。
くわ〜。のどのひりひり感があっという間に消えていくのだ。
なんでこんなことで症状が治まってしまうのだろう?一体メントールって何?
たぶん私はチョー軟弱な身体になっちゃっているのだ。自然の摂理である冬から春へという変化についていけてないのだ。山の草や木は「お、春です」と、ふんふん花粉を飛ばして前進しますが、私は「えっ?えっ?ちょ、ちょっとまって〜」とからだが春の変化に置いてけぼりになっているのです。
今の季節は、目には見えないがすべてのものが、あらゆるところで爆発的な変化を始めているのだ。静から動へ。昔の人々はその爆発的な変化に容易についていけた。それは自然のリズムに調和していたから。けれども私のようなぽやぽやした現代の恩恵に浸っているものは、そのダイナミックな自然のリズムに負けてしまうのだ。
鼻をぐしゅぐしゅさせながら畑をやる私を棟梁は横目で見る。
「心入れ替えりゃ、いいんですよ」という。
自我の強い私は、そうおいそれとは心入れ替われないんですな、これが。
絵:『自然は緑の薬箱』イラスト
2009年2月19日木曜日
つくしの小さなイラストレーション展
2009年2月18日水曜日
お地蔵さまの首
21世紀の江戸時代みたいなこの裏高尾。
旧甲州街道のあちらこちらに赤いよだれかけをつけたお地蔵さまが立っている。よくみるとお地蔵さまの首が、不自然についているものがちらほらある。あとからくっつけたような.....。
先の大震災で取れちゃったのかなあ?とおもいきや、さにあらず。その理由が、近所のじっちゃんAの何気ない言葉で判明する。
「ありゃあ、博打打ちの縁起担ぎじゃ」
どうもここら辺は博打打ちが多かったらしい。博打打ちは、何でもかんでも縁起をかつぐ。で、こともあろうにお地蔵さまの首をへし折って、それを懐につっこんで、博打にくりだすのだ。
どういう発想からそんなことがデキルのか。まったく昔の人間は大それた事をする。金に目がくらむとなにしでかすかわかったもんじゃない。
とはいえ、何かと神経質になるこのごろからくらべると、なんつーかおおらかなところがいいなあ。(あんた、どういう感覚?)
さて、その大胆な縁起担ぎが利いたかどうかはしらない。その後元に戻された首は、ホントにその持ち主のものかどうかもあやしい。みょうにへんなバランスでくっついている。
「ちょうどええ大きさの石があっての。ほれ、これはわしがくっつけておいてやった」
自慢げなじっちゃんAの目の前には、目も鼻も口もないのっぺらぼうのお地蔵さまがいた。(ただの丸い石じゃねえか!)
そういえば、我が町内会も、ご神事の懇親会と銘打って、昼間から酒を飲む。
近所の金が腐るほどある(らしい)じっちゃんBから聞いた話だと、ちょっと前までは、
「わしらはそのまま明け方までのんで博打をし、儲かったら相模湖の方までくり出して芸者をよび、お茶屋でどんちゃん騒ぎをして来た!」
のだそうな。
まったく。男衆のやることといったら、そんなことしか芸がないんかいな。
一度、夢で八王子の昔の花街の様子をみたことがある。今でもそんな昔の情緒ある空気感がこの土地には流れている。家の前の旧甲州街道を歩きながら、一体どんだけの長い時間を、どんだけの人々が、どんだけの思いでここを通ったのだろうと考えると、頭がくらくらする。
思わず「どんだけ〜」といいたくなる(もう古い)。
昔の情緒をまだ匂わしてくれているじっちゃんAや、じっちゃんBが、いつまでも元気でこの地をうるおしてくれることを願う。
絵:『幕末テロ事件史』扉イラスト
2009年2月14日土曜日
きのうのパーティ
きのうは、ダンナの写真展のレセプションパーティがあった。思ったよりもたくさんの人たちが個展会場に来てくれてうれしかったなあ〜。
皆様、お忙しいところ、わざわざお越し下さいまして、ほんとうにありがとうございました!
レセプションパーティに来てくれる人たちは、忙しい毎日の中で、わざわざ私たちのために時間を割いて来てくれているのだ。なんとありがたいことか。ああ、ホントに頭が上がらないです。ありがとうございますです。
おもしろい事に、きのうはいつもとは雰囲気が違っていた。
来てくれたのは、それぞれ職業も何もかも違う人たち。なのに、ちょっと紹介するだけで、もうお互いが打解けてお話が始まる。場をわきまえていると言うか、大人で社交的な人たちばかりだった。
日本人はパーティーという社交の場がとくに苦手。西洋人のように、知らないもの同士が、互いに口をききあう事はあまりない。でもきのうはちょっと違っていた。それぞれのお互いの共通点をさっと見つけたり、ダンナの写真をエサに(?)話が盛り上がる。
まったく知らないもの同士だと思っていた人たちが、「ええ〜っ!なんでここにいるの〜!?」と、じつは知り合いだった、なんてちょっとした嬉しいアクシデントもあったり。これだから人間世界はやめられないのだ。何が起こるか分からない〜。
ギャラリーさんが用意してくれた美味しいワインと、おいしいチーズと、おいしいサラミで、よけい盛り上がっちゃいました。私はと言うと、高尾のお山から汲んで来たわき水だけを持参(なんじゃそりゃ)。何から何までギャラリーさんに甘えてしまったパーティでした。
ああ〜、ありがたや、ありがたや。
ちなみにうちのダンナは、きのうはモスグリーンの学ランのようなスーツを着ていた。タイに行った時、オーダーメイドで作ってもらったもの。ちょっとまちがえば、三島由紀夫のようなかっこう。アレに白手袋して、はちまきなぞ巻いてしまったら、そのままやがなという....。 でも中にピンクのタートルネックを着て首に和物のスカーフを巻いて、なかなか様になっていたと思う。みんな気がついてくれたかなあ?
絵:ラブロマンスペーパーバックカバー
2009年2月11日水曜日
火の玉
「むかしはよく火の玉を見たもんだ。
最近はめっきり見なくなったなあ」
近所に住むおじちゃんが畑の中のお墓の前で話してくれた。
「オレが子供だった頃なんか、ここいらは夜んなると真っ暗で、今のように明るくはなかった。今はあんまり明るいもんだから、火の玉も恥ずかしがって出てこねえんじゃねえか?きっと今ごろはとなりの県の山梨の山ん中あたりで、うろうろしてるにちがいねえ」と、にやっと笑った。
今のあいそのない科学的な根拠としては、リンが燃え上がって火の玉になるらしい。ということは、土葬でなくなった現代なので火の玉がいなくなったのか?とはいえ、だからいなくなったと言っちゃあ、味気ない。やっぱ「明るすぎて、恥ずかしがって出てこなくなった」方が、情緒があっていい。
でも今だに火の玉が.....という話は尽きない。やっぱりはっきりした事はわからない。そういうところが不可思議で楽しいのだ。
火の玉なんてへのカッパなそのおじちゃんでさえもビックリしたことがある。
まだ彼が若い頃、夜縁側でぼけーっとしてたら、庭先にでっかい火の玉を見たんだそうな。7、80センチはあろうかというでっかい火の玉が、ぐるぐる回転しながら、うねうねとゆらゆらと、ゆっくりとおじちゃんの目の前を東に向って飛んでいったんだと。その光は赤や黄色やオレンジがいっぱい入り交じった、それはそれはきれいな色をしていたそうだ。
また、彼のお父さんが見たのは「金玉(いや、その、アレではなく、『カネダマ』と呼ぶそうな)」。
今から80年ぐらい前のこと、目の前の道をゴロゴロところがりながら走る火の玉を見ている。大きさ120センチほどのそれは、円盤形をしていて、太陽のようなものすごい光を放っていた。やはりいろいろな色が混ざり込んだ不思議な色をしていたようだ。その金玉(だから、カネダマ!)は、道沿いにものすごいスピードで回転しながら坂道をころがり、ある地点でカクッと90度方向転換をし、ある家の中にすぽっと入っていってしまったそうな。
さてその金玉の入った家は、その時からどんどんお金が転がり込んだ。あれよあれよというまに大金持ちになって、大きな蔵が建った。今でもその家の庭にはその時の蔵がある。
うほっ。一体なんなのだ?その金玉は。
我が家にも飛び込んで来てほしいもんである。
うちのダンナはいう。
「昔の人たちは光に対する感度が良かったんじゃないかな?微妙な光さえも感知する能力が備わっていた。たぶん、今の人たちはこの人工的な明るさに目が慣れてしまって、昔の人たちが見ていた光を感知できなくなったのでは?」
なるほど。確かに昔の夜の光と言えば、行灯やろうそく。一度試した事があるが、行灯なんてものすごい暗い。60ワットの電球の10分の1ほどしかない。そんな生活に、いきなり100ワットの光が来たなら、まわりは眩しくて見えなくなるはずだ。
ということは、目の前に火の玉が飛んでも、ちっとも気がつかない現代人なのかもしれんなあ。
案外、今でもいっぱい飛んでいたりして....。
現代人は、夜の暗がりを忘れて、昔の人たちが知っていた不思議さやおもしろさを味わい損ねているかもしれないな。
ここは一つ、ふっと灯りを消して、夜の暗がりを楽しんでみる事にしますか。
そのうち金玉にも会えるかもしれないし。(だから、カネダマ)
絵:「かさ地蔵」COOPけんぽ表紙
2009年2月9日月曜日
自分の中のモンスター
思想的ないろんな本を読んでいると、最終的に誰もが言っている言葉がある。
「汝自身を知れ」
ここんところヒマぶっこいているうちに、鼻をほじっているのにも飽きて、自分の内面をさぐりはじめる。まるで山の中に住む仙人みたいだ。ある日、高尾のふもとに住む仙人は、自分の内側に鎮座するモンスターを見つけてしまった。それは前から何となく気になっていた、あの「監視人」がその正体だったのだ...!
人はこの社会に生まれ落ちた時は純粋だけど、荒波にもまれるうち、サバイバルを乗り越えるためにある種のワザを見つける。そのワザはものの考え方だったり、存在をもってしまったりする。私のばあいは、私の中に自分を監視する存在を作ってしまったのだ。
過酷な状況に追い込まれると、人はその状況からどうにかして逃れたいと思う。
最近、『銭ゲバ』というドラマを見ている。秋山ジョージが描いたマンガが原作になっている。主人公が置かれた幼い頃の家の状況が、私の小さい頃を思い起こさせる。主人公はそういう状況を通して、「世の中、すべて金ズラ」という考え方になっていく。卑屈で、いやらしいくらい世の中を呪っている。その気持ちはよく分かる。私も卑屈で、いやらしいくらい自分を呪った。学校や家で人に殴られ続けると、心はどんどん荒んでいく。そのはけ口を外に向ける人もいれば、内側に向ける人もいる。私のばあいは内に向けた。
「こんな存在は消えてなくなった方がいい」
「こんな存在はいらない」
そう、口走る私がいた。そういう苦しい状況を乗り越えるために、私はあるアイディアを考えついた。このような悪いやつを生かすには、管理をする必要がある。こいつは監視させよう、と。ウマい事を考えついたものである。警察官の娘は、自分に専用の警官をつけさせたのだ。
まるで「私のような存在は、本当はいてはいけないのですが、このような監視人をつけさせましたので、この世にいてもいいでしょうか?」と誰かにお伺いを立てているかのように。
さて、それから(自分に)監視をされる時代が始まった。なにをやっていても「つくしちゃん、あんたなにをしているの」といわれる。「ああ、またやった。このへなちょこ」といわれる。
「しまった病」は、この監視人が「ほーら、またやった」というからである。
「それはあなたが一人っ子だったからじゃないの?」
先日、高校時代からの友達にそういわれて気がついた。そうなのだ。私のまわりにはアホな事をしでかす子供がいなかったのだ。まわりは大人ばかり。私のようなすっとぼけた事をしでかす人間などいなかった。この世で自分だけがアホな事をする存在だと思い込んでしまったのだ。だから徹底的に自分を責める。一人っ子はそういう意味では、逃げ場のない状況を作ってしまいがちなのかもしれない。
そうやっていつのまにか40数年間この存在とともに生きて来た。たぶん友達がいなかった私は、この存在を友達にしていたのではないだろうか。
でもここにきて、それは私にとって自分を小さくさせるだけのものでしかない事に気がつき始めた。よくよくそのアイディアをチェックしてみると、私を明るくしてくれるようなアイディアはない。どちらかというと、やりたいと思う事を頭から否定したり、楽しいと思う事を楽しんじゃいけないと言われたりするのだ。
つまり、私がやる事なす事をことごとく否定する存在であったのだ。
ある時、私が〆切に追われて仕事をしていると、頭の中で声がする。「あんた、仕事やっているばあいなの?自分の作品を作らないでどうするのよ」
イラストレーターとは不憫なものである。依頼された仕事と自分自身からでてくる作品はなかなか一致しないものである。それがゆえに、依頼仕事以外にも自分自身が描きたいと思う作品を開拓していかなくては、次の仕事にはつながらない。だからたえず仕事をやりながら新しい作品を自分自身が作り上げなければいけない。
だからその声が内側で聞こえた時、
「おお、そうか。作品作らねば」と自分の作品を作りはじめる。するとまた声がする。
「なにやってんのよ。仕事しないでどうするのよ。〆切迫ってるんでしょ」という。
「ああ、そうだ。仕事しなきゃ..」と仕事に向う。と、また声がする。
「あんた、なにやってんのよ。自分の作品作らないで次の仕事が来ると思う?目先の仕事にばかり追い回されてるんじゃないわよ」と。
「ああ、そうだった。作品、作品、と.....って、ちょっとまてよ」
私は自分の声に振り回されていた。頭にきた私は、さっさと仕事に向った。
なんだこりゃ?と最初は思った。でもこの存在が24時間態勢で作動していた事に気がついたのは、つい最近の事だ。
たぶん、その存在はある時期までは有効だったにちがいない。けれどもしらない間に時間は過ぎ、私自身は大人になった。でもその存在はいつまでも私が作ったあの時代のあの年のままなのだ。たぶん5歳ぐらいの.....。ある日、私は5歳の女の子の言うことをずっと聞き続けていた自分に気がついて愕然としたのだ。
私は5歳ぐらいの時、その存在を作ってしまったのだ。47歳になった今でも(もうじき48歳)その子の言うことを聞き続けている。「だめでしょ、つくしちゃん。いけないわよ、そんなことをしたら...」ところが私自身は47年間と言う時間を通して社会を知り、大人を知っていった。ある程度は人や社会を理解している。その私が、たった5歳の女の子の言うことに振り回され、聞き耳を立てていたのだ。
そんな状況はよく考えてみれば、アホだ。心が分裂するに決まっている。
それからは、その子がしゃべるタイミングをチェックしはじめる。おそろしいことにそいつは四六時中しゃべっている。私が何かアイディアを考えつくと、「いや、それはだめよ」という。人に褒められると「そんな言葉はおついしょうに決まっているでしょ。まともに受け取っちゃダメよ」という。青空を見てほっこりしていると「何ぼけっとしてんのよ。仕事しなさい」という。その声を聞く度に、「ああ、そうだった。仕事仕事」と、聞き分けのいい従順な家来に成り下がるのだ。
つまり私はこれまでの人生、もっと心が楽しんでいたかもしれない事を、その子のおかげで楽しみきれていなかったのではないのか?
私はその子の言うことに耳を貸さなかったらどうなるのか実験してみた。
いいアイディアが浮かぶと、「だめよだめよ」といいつづける言葉を無視する。人に褒められると、その言葉をありがたくそのまま受け取る。青空も、仕事を気にせず味わい続けた。
すると人に褒められるとうれしいし、青空も前より楽しめるようになった。それからなによりもびっくりしたのは自分の体が軽く感じるようになったのだ。
ほんの小さなことで、「私ってやさしい心を持っているんだなあ」とか、「お、気が利くじゃん。私って案外いい人なのね」とか思い始め、自分という人間に価値があるような気がしてきたのだ。
とはいうものの、40年間近く居座っていた彼女は、そう簡単にはいなくならない。ほんの些細な事ですぐその感情が戻ってくる。細胞の一つ一つにまで深く浸透していたのだ。敵はそう甘くない。いつでもどこでも神出鬼没なのだ。けれどもこれは一つのゲームのようだ。一つ一つ見つけてはクリアしていく。その度ごとに心も体も軽くなっていく。
これはまさに「汝自身を知れ」という言葉の入り口なのかもしれない。
この5歳の少女こそが、シュタイナーが言った「境域の守護霊」、ラムサが言った「ニューロネットの発火」、そして指輪物語にでてくるガンダルフが戦う「モンスター」なのだ。
そうやってクリアしていく間に、なんとなく自分自身の『本性』と、今世生まれて培って来た『性格』とは、じつは違うのではないかと思い始めて来た。
ひょっとしたら、思想的な本や宗教家が言う「自我」や「エゴ」とは、その私が飼っていた(作り上げた)5歳の女の子そのものなのではないだろうか。
恨み、ねたみ、ひねくれ、怒り、恐がり、哀しみ....。すべてのネガティブな感情をその子は持っていた。
でも人は言う。人間とは感情の生き物で、人間から感情を取ったら、スタートレックにでてくるスポックのように面白みのない生き物になってしまうのではないかと。
ではそのネガティブな感情がこのゲームによって消えていったなら、私は人間的ではなくなるのだろうか?
ネガティブな感情をもった今世の私は、私自身がもともと持っている本性とはちがっていた。今その感じがなんとなくわかる。その本性は、もっと人間的なのだ。いや、人間以上のようなかんじさえする。
身長158センチの私は、5歳の女の子を連れているからこそ、158センチなのだ。
もしその子をすべて自分の中から解き放ったら、いきなり私の身長は3メートルほどになってしまうかもしれない。
自分を解放するということは、そういう自分の中に飼ってしまっているモンスターの呪縛から解放されるということなのかもしれない。知らない間に自分で自分に手かせ足かせをはめてしまっていた言葉、
「世の中とはおそろしいもの」
「あなた、常識を知らないの?」
「人間は所詮、老いて死ぬだけの生き物」
「あんたの考えている事なんて、たかが知れているのよ」
これらの言葉や思いが、自分を限界のあるものにし、重力に影響され、小さなものにし、重苦しい泥の中にのたうたせていたのかもしれない。
実は私たちは自分自身の本性や本領を、忘れているだけではないのか?
「銭ゲバ」の少年時代のような環境は、必ず私が望んだものなのだ。こういう環境に居ながらにして、どこまで飛び立てるか、どこまでそのような人間の心の弱さを理解できるのか、を、自分で選んできたに違いない。今はそれを受け入れる事が出来るようになった。
これからの作業は、自分自身の本性を思い出す事なのだ。
絵:コージーミステリー『珊瑚の涙』表紙
2009年2月4日水曜日
あくびで絵を描く
棟方志功さんが制作しているシーンを見た事がある。目を木にひっつくぐらいくっつけて、ものすごいスピードで木を彫っている。
あるアーティストが制作するシーンを見る。無心に筆を動かしている。
そういう姿を見ると美しいなあ〜とおもう。絵を描く姿って、こうでなくっちゃ、とおもう。
私はというと、あくびばっかりしている。
絵を描きはじめる前のあの抵抗感。いやだなあ、いやだなあとおもいながら、あれこれと絵とは関係のないことをしばしやって、制作を先延ばしにする。でも仕事だから締め切りが迫っている。やらなきゃいけない。うんしょっとムリヤリはじめる。
すると描いている先から、あくびばっかりでてくる。ふあ〜、ふあ〜と、大口あけてあくびする。目から大粒の涙がほとばしりでる。
エンピツで線を一本引いちゃあ、大あくび。目から大量の涙。また一本引いちゃあ、大あくび。それをくり返す。それをしていないときは、ぼーっと窓の外を見ている。
絵を制作するという姿は(テレビで見るかぎり)、美しいもんだと相場が決まっている。でも私のそれは、とてもじゃないが人にお見せできるしろものじゃない。
眠たいのか。ちがうのか。そこのところの見極めがむずかしい。ホントに眠たいばあいもある(笑)。でもその大あくびを乗り越えると、だんだん入ってくる。相変わらず、ちょっと描いちゃあ、ぼーっと外を見ている。ちょっと描いちゃあ、鼻をほじくったりしている。
で、気がついたら手のウラを真っ黒にして、絵が出来ている。そんな感じ。
私は怠け者だ。こんな描き方じゃあダメだ。と、ずっと思っていた。でもひょっとしたら、みんな似たようなものかもしれない。テレビで美しく取られているシーンは、じつはほんの一部なのかも。そのアーティストは、カメラが回っていないときは大あくびしているかもしれない。棟方志功さんも、木彫りをしている時以外は、ぼーっとしていたかもしれないのだ。
脳に酸素が足りなくなったらあくびをするというではないか。(ホントは脳が酸欠を感知するということらしいが)ひょっとしたら、そのとき私の脳はものすごい勢いで動いているのかもしれない。そのため酸素が枯渇する(つまり私が酸素を吸いまくっている?)。だからひっきりなしにあくびをして大量の酸素を必要としているのかもしれないのだ。
つまり私の制作は、ほとんどの時間を「あくび」と「ぼーっ」についやされている。いや、ぼーっとしているあいだに、ものすごい脳みそが動いていて、そのため酸欠が起こり、あくびをする、という構造なのかもしれない。やはり、ぼーっとする事は偉大なのだ。
ぼーっと考えて、あくびで絵を描く。私の制作はこのような仕組みになっているようだ。(ホントかいな)
最近、自分のやることなすことを全部肯定しようという作戦にでている。
わしゃ、このままでいいんじゃあああああ!と。
絵:「へるすあっぷ21」フットセラピー