2008年9月9日火曜日
チェリーパイ
私がこの世に誕生して、一番最初に呼ばれた名前は『おいやしさん』。
産婦人科の看護士さんたちは、親が付けた名前よりも、あだ名で私を呼んだ。なんでも母の母乳の出が悪かったらしく、勢い余って、両方の乳首を噛み切ってしまったのだという。彼らはそんな私を見て、「そうとうイヤシイやつだな、こいつ」と思ったらしい。
彼らの直感は正しかった。私の『記憶』と呼ばれるものの9割は、食とつながっている。どこそこのあのときの、あのラーメンがうまかったとか、あの公園はあのだんごのモッチリ感が良かったとか、あのお寺のあの時食った和菓子がこう、うまかったとか、逆に、あそこの鯛は、天然のふりして養殖、しかも冷凍だったとか、良かろうが悪かろうが、全部が食べたときのこととくっついて、私の記憶箱の中におさまっている。
母はいつもこの話しをして笑う。
私がまだ1才半のよちよち歩きの頃、うちに小さなちゃぶ台があった。それは私の食事専用の幅30センチほどの小さなもの。たしか上に花の絵がついていた気がする。家の壁には時計があって、私はいつもその時計を気にしていた。3時に少し前くらいからそわそわしはじめる。私は、おもむろにゴザをずるずるひきずって、その時計がま正面に見える部屋のど真ん中に敷く。それは母が、私が畳の上に食べくずをまき散らさないように敷くもの。それからちゃぶ台も持って来て、その上に置く。準備万端整ったところで、私はその時計と向かい合って正座をして待つ。チックタック、時計の秒針が時間を刻む。私の心は高鳴り、絶頂期を迎える。
誰が教えたわけでもないのに、そうやって私は毎日午後3時になると、そこでちゃぶ台に向って、3時のおやつを待っていた。母はそんな私のけなげな行動に、なけなしの材料で、毎日おやつを作ってくれていた。
私は今でも3時という時計の針の位置が好きだ。遠い記憶は今でも無意識の中に活動している。
ところでこの絵に出てくるチェリーパイには、美味しかったという記憶がない。私の記憶箱の中から消去されている。
I don't understand these characters...
返信削除Excuse me.
返信削除These are Japanese.