2008年9月7日日曜日
海の底の壷
イソップ物語の中に、『アリとキリギリス』というお話がある。
私はこの話しに妙にこだわっていた。
アリさんは働き者。キリギリスは働きもしないで、アリさんがせっせせっせと食べ物を運んでいる横で、優雅にヴァイオリンを弾いている。その結果、アリさんは巣に大量の食料を運び、キリギリスは遊びすぎてたくわえをしなかったから、飢えて死んでしまった(結果は色々あるらしいが、基本的にはこんな感じ)、というお話。
この話を聞いて、子供ながら「世の中、せっせせっせと働かなきゃいけないんだ」と思っていた。必然的にキリギリスよりも、アリさんの方がえらい!と信じていた。だからお百姓さんや漁師さんや汗水たらして働いている人を見ると、なんだかキラキラと輝いて見えたもんだ。私は「大きくなったら、アリさんみたいになるんだ!」と希望に胸を膨らましていた。
その私があろうことか、どこでどう間違ったのか、どっちかというと、キリギリスさん的な職業をえらんでしまった。汗水たらしてキラキラと輝いている人々とは裏腹に、一日中机に向って、絵を描いている。お百姓さんは食べられる食料を大地から作ってくれるが、私の作るモノは、食べられない。
単純な考え方しか出来ない私は、絵を描くことしか出来ない自分が恥ずかしかった。だからといって、この職業を選んだ人を同じように思っているわけではない。誤解しないで欲しい。みんなは私がのほほんと仕事をしている間に、汗水たらして頑張っていることを知っている。まわりに頑張っている友人がたくさんいる。私は徹底的に「ちゃんとしなきゃ病」の重病人なのだ。あくまでも自分ばかりを責める。いや、責める材料を探してばかりいるともいえるのだが...。
だが、ある日、ホントに単純な理由でこの呪縛がとけた。
ある夜、私が寝ていると枕元に誰かがやってきた。それは私の左の耳元に口を近づけて、はっきりとこう言った。
「美よ!美!」「あなたは美!」
そのとてつもなく大きな声にビックリして飛び起きた。もちろん誰もいない。
その存在の顔を私ははっきりと覚えている。長い黄色の髪をカチューシャでとめたゲバゲバしい化粧と服をきたおっさんだった。
「なんで美輪明宏が....?」夢か現か幻か。いったい人は、なんでこういうものを突然見るのだ。
美?何で美?
あの美輪さんは、いったい何が言いたかったのだ?
そのとき私の頭の中でキリギリスがヴァイオリンを弾いている姿が浮かんだ。そしてその後ろを重たい食料を運ぶ働きアリたち....。
その汗にまみれた彼らの顔を見たとき、私ははっとした。
アリたちは楽しんでいたのだ....!そうだ!あの重労働の中で、その苦しみを癒してくれていたのは、他でもない、あのキリギリスが奏でる美しいヴァイオリンの調べだったのだ!
なんてことだ。アリたちにとって必要だったのは、キリギリスだったのだ。アリにとって生きるとは、食料も音楽もどちらも必要なのだ。それはキリギリスも然り。すべての職業は必要なのだ。その中で私は知らず知らずキリギリスの職業を選んでいたのだ。
そう理解した時、なんてこの世は不思議なのだとおもった。すべてが意味があってそこにある。あのイソップの物語はなんて深い意味を含んでいたのだ。私が無意識にずっとこの話しにこだわっていたのは、その深いところをみろ!と言われていたからなのだ。
それから美というものが人々の生活にどんなふうに影響を当てていくのかをじっくり考えていくうちに
「キリギリスってすごいじゃないか...」そう思うようになった。
たった一瞬のへんてこなビジョンのおかげで、自分の呪縛がとけた。
自分の職業が恥ずかしいと思ったことが、恥ずかしかった....。
あのイソップ物語は最後はこう締めくくるのだろう。
アリさんはキリギリスさんにこういった。
「キリギリスさん、私たちの労働の疲れを癒してくれて本当にありがとう。お礼に冬の間の食料をさしあげます」
こうしてみんなは幸せに暮らしましたとさ。
つくしさま
返信削除まさしく私は汗まみれのアリンコ…
そんな切ない気持ちで拝読しました!
(おひさしぶりのあさかです)
でも、つくしさん流のアリとキリギリス
素敵な解釈ですね。世の中に
不必要な人も仕事もないんだということ、あらためて思い至ります。
フクロウの絵もステキでした。
夏が終わろうとしているいまごろに
なって、やっと夏休みをゲット!
今週、沖縄にショートトリップ
してきます~♪
またご報告いたしますね
おお、おひさしぶりです!
返信削除こんな私でも必要としてくれているこの世がありがたいのです。
汗まみれのアリンコさん、今度は沖縄というゆる〜い回転数の洗濯機にもまれて、リフレッシュしてきてください。洗剤の変わりに、ミネラルたっぶりの海水の中で...。