2024年7月1日月曜日

私の中にある

NY時代の私
私が初めて一人でNYに行った時、泊まっていたホテルの前で。
このホテルは部屋一つ一つをアーティストたちが作品にしていた。

 

世界は自分の投影だという言葉はよく聞かれるが、

それが本当なのだと徐々に実感し始めている。


母は私の憧れだった。美人で気品があってお茶、お花、そして絵に才能があふれていた。考えることに全くブレがなく、それでいてあらゆることに受身でいられるという強い意志力があった。五感は鋭敏で観察力と直感力にあふれ、私に隠し事はできないほど完全に見透かされていた。


幼い私はその眩しいばかりの母を崇め、恐れ、そして絶えず自分と比べて自分の存在を呪った。私の劣等感は、彼女を通してガンガン養われていった(笑)。


彼女は私にはないものを全て持っていると思っていた。だから彼女が持っているようなものを私は欲しいと願っていたせいか、いつの間にかアートの世界に入っていた。彼女は絵で食べてはいなかったが、私は絵で生計を立てるまでになっていた。しかし私の心はいつまでも彼女に追いつけない劣等感と欠乏感を持っていた。





彼女が亡くなった次の日のお通夜の晩、彼女が私から消えていた。

彼女の存在が外のどこにも見つけられなかった。


どこにいたのか。

私の中にいた。



同じようなことが過去2回あった。

一つはコロナが始まる直前に、高尾から京都に引っ越そうと物件を探しに行った時のこと。あちこちの物件を見て回ったが心躍るものはなく、意気消沈して帰る日の朝、ホテルのベッドで微かな声を聞いた。「京都はすでにお前の中にある」

ああ、そうか!外を探す必要はなかったんだ、私の中にすでにあったのだ!そう思った瞬間、京都行きは消えていた。


もう一つは最近のこと。

先月の展覧会でギャラリートークをした明け方のことだったか、ある人物の存在がものすごく近く感じた。最初は抵抗していたが、抵抗をやめると、すーっとその人物が私の中に入ったのだ。なんとも言えぬ心地よさに身を任せていると、他の人々が次々に入ってき、さらにまわりの物質まで入ってきた。

入ってくると体に溜まってくるように思うのだが、入れば入るほど私が透明になっていった。


それと同じことが今回も起こっていた。


私は母という自分にはないものを全て持ち合わせた存在として彼女を外に見ていた。

京都もまた、私の手の届かぬもの、かなわない存在として外に見ていたものだ。


だがそれこそがこの世界は自分の投影でできているといわれるゆえんか。

私は私の中にあるものを外に放り出して、自分にはないとした上で、それを探し求めていたのだ。


外に出して目の前に表したものは、重く実感を伴って存在する。

それを見ることによって絶えず自分のいたらなさを感じ続け苦悩する。

これがこの世界の成り立ちか。




母の死によって、母は私の中に戻った。


京都のホテルの朝のように言葉が来たわけでも、

ギャラリートークの次の朝に見たビジョンでもない。ただ、そう感じる。


どうしてそうなったのかはわからないが、

臨終の際、大好きだって伝えたこと、

彼女にめいっぱいの感謝と、

彼女を全面的に受け入れたことが関わっているのではないかと思う。

それはすなわち、自分自身を受け入れることになるのだから。




今の私は母を外に見ることがなく、遺影に話しかけることもしない。

話しかけるとは、その存在を外に見ることになるからだ。


外に見ないからといって寂しいわけではない。

その存在がわたしとともにある。

私の中に、彼女の存在の大きさも、京都もある。


感覚としては、「自分の体」「自分」という、外と自分の境界線のようなものがどんどん緩んできている。どこかに風穴が空いたような、いつも風が通り抜けているような、軽くて明るい感覚。



自分にはいらない!と外に出したものが帰ってくることは、

幼い頃「宇宙は私の中にある」という感覚を持ったあの時と同じものだ。


私は外に突き放したものを、どんどん回収していきたい。













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