2021年6月6日日曜日

ある日のシーン



ある日、近所で友人を見かけた。

見覚えのある車に乗った彼女の横顔。


「え?

今あの子は京都にいるはずなんだけど。。。

そっか。こっちに遊びに来てるんだな。

後で連絡くるかな。」


来ない。


その次の日もまた、同じ場所で彼女を見た。

「やっぱ帰ってきてるやん。」

一瞬私の顔を見た気がした。だけどスルー。

「なんでやねんっ!」


それからすぐ後、そのことを車の中でダンナにしてる矢先、彼女の車とすれ違う。

「あ、ほんまや!あいつやん!帰ってきてるやん!」

運転してたダンナも確認。

「でしょ!?でしょ!?でもなんで連絡くれないんや。。。」


モヤモヤしたまま、数日過ごす。

最近近況を聞いてない。フェイスブックにも更新がない。


メッセンジャーで「ヤッホー!見かけたけど帰ってきてるの?」と送る。

返事がない。既読にもならない。

ダンナが思いあぐねて、ケータイに電話。通じない。


これ、やばくね?

けどもしやばかったら、なんらかの形で私たちに信号を送るはず。。。

来ないってことは必要ないってことじゃね?


てか、もう死んでる!?




1ヶ月後、メッセンジャーに返事が。

「うおーーーっ、季節巡りまくってるーw」やて。


なんでもケータイ変えたらメッセンジャーにもアクセスできなくなったらしい。

わしらの動揺に気づくはずもなく。


SMSに頼る日々の中、ほんの少し連絡が取れないだけで、

これだけ右往左往するもんなのだと気づかされた。

彼女が単にケータイ変えただけなのに、妄想で彼女を殺しちまった。

妄想とはおそろしーもんである。



それから何事もなかったかのようにフツーにやり取り。

そんな中でおもしろいことが。


「裏高尾に帰ろうかと思ったこともあったんだよねー、4月に」

それを聞いてハッとする。


ちょっと待て。彼女を見たのはいつだ?

メッセンジャーにメールを送ったのは、その4月だった。


「あれはあんたのアバターだったんだ!」

「そーそー!驚くよね。だからつくしさんから連絡あった時、

あー、私飛んでっちゃったかーって思ってた」そうな。


その後彼女は京都に留まることに決めた。

そしてその後、私たちは彼女のそっくりさんを近所で見かけることはなかった。




彼女の中でいろんなことがあったんだと思う。

そんな中でここでの生活や私たちのことを思い出していたのだろう。


心が一つなら、その思いに近い人はそれを受け取ることになる。


心が繋がっていることをこんなにはっきり見せてもらったのは初めてだった。


それと同時に、この世界で私たちが知覚しているものは、

なんと曖昧なものかということ。

そこに見えているからあるのだと信じていることが、

実は実在するのだと言えるほど確かなものではないのだと教えてもらった気がした。


見たいものを見、受け取るものを受け取っている。


空間の中に、互いに独立したものが動き回っているわけではないと。


。。。うまく言えない(苦笑)





絵/高尾で見た天狗

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