2017年10月12日木曜日

草のおかげ


 サンチェのわきからあっちゃこっちゃ出てくるジャガイモの葉。
ここは春にジャガイモを入れた所。
確か全部掘り起こしたはずなのに、
何で出て来るかなあ〜。

秋になって涼しくなると、猛烈に草刈りをはじめるやまんば。
いや猛烈にしたいわけじゃないけど、夏のあいだに猛烈に生い茂った植物たちをばっさばっさと切っていると、格闘してるみたくなってくるw

しぶといヤブカラシ、トゲがぴちぴち引っかかるカナムグラ、10mぐらい伸びたぶっとい葛たちが、下から生えて来たイネ科の植物やら、名前がわからないやたら種がくっつきまくる、でかい植物たちをおおいつくす。

下から刈り、上に絡まったツルたちをひっぺがし、ばったばったとなぎたおし、おおきな草の塊を作っては、フェンス向こうにぽいぽいほおり投げる。


草を刈ったあと、アブラナ科の種をバラバラとほおり投げた所。
フユナ、水菜、ルッコラ、などが芽を出し始めた。

黒足袋で草を刈ったあとの土を踏む。
足がぐーっと沈み込むほどのやわらかさ。ゴム靴では味わえない感触だ。そしてその足袋の裏を通して、土の豊かさを感じる。
山際の畑は、フェンスの端からどんどん自然に還ろうとする。
日本の自然は、放っておいたらただただ豊かになる一方だ。


人間さまの都合でああなってほしくない、こうなってほしい、という都合でいろんなものを入れるが、それがかえって自然にアンバランスを作っているように思える。そのアンバランスのおかげで、また別のものをくわえなくてはならなくなる。

一方何もしない畑は、勝手に豊かになっていく。
一見、荒れ果てた土地に見える草ぼうぼうの畑だけど、毎年土が豊かになっていくのが足の裏でわかる。草のおかげで、豊かになっていくのだ。


「土作り」とは人間が、「やった気」になれる発想だ。
ほんとは自然が勝手に土を作り、調節している。
いや、「作る」なんてこともしていないのかもしれない。
ただひょうひょうと事が動いているだけ。

そこにちょこざいな考えのやまんばがやって来て、好き勝手に種を入れる。それを自然は、
「ふん。ま、ええか。ほっといてやるか」
ってなぐあいで、あたたかく見てくれているのかもしれぬ。

かれこれ9年目の秋の畑。
だんだん豊かに育ってくれる野菜たちを、たのもしくながめる。





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