10月の展覧会に間に合わせようと、
今作品集もどきを作っている。
もどきっていうのは完璧な画集ではないからだ。
一枚一枚額から外して複写する。
画集作る人の大変さをあらためて思う。
あの人も、この人も大変だったんだろうなあ~。
アナログな作品をデジタルに置き換えられるからか、
全体的にギトっとしてしまい、なかなか原画の和紙の優しい雰囲気にならない。
それでもなんとか近づけようと素人なりに奮闘する日々だ。
昨日「どの幻想が一番いい幻想?」というブログを書いたが、
まさに「どの幻想の色が、一番幻想の原画に近い色?」ってやっている(笑)。
どーせ幻想なんだから、なんでもいいんちゃう?
という考えはなんかちゃう。
それは無理がある。
キーワードは「深刻さ」なんだろうな。
う。。。色が違う。。。
あー、またやり直しかー。。。
というのは、なんか暗いというか、重いというか、ジトーッとして、
無理やりやり直しをする。
これはことを深刻に捉えている。
幻想を実在化している。
でも同じやり直しをするのでも、
あ、色が違う。
そっか、じゃあ、も一回トライ。
トライして、トライして、トライ。
んでほぼ同じ色にできたら、ラッキー!
この二つの感じ方の違い、わかる?
これ、内田宇宙人に教わったんだ。
「つくしさん、何度でもトライするんですよ。
それでできなかったらできないでいーじゃないですかー」
この軽さ(笑)。
アメリカの銀行に入れてあったお金が、
こっちに送金されるかしないかで半年振り回されたことがあった。
貧乏人の私としてはなんとか送金されるように頑張ってきたが、なしのつぶて。
完全に泣きが入って内田くんにグチる。
「入ったらラッキー、入らなかったら、それでしゃーない」
「えー。そんなもん?」
「そんなもんです」
「。。。」
そうは言いながら、彼は彼のできる範囲で徹底的に手伝ってくれた。
やり直し、失敗。
そんなことが私には深刻になる。
でも彼の中では、やり直しすればいいじゃないですかー。
失敗したっていいじゃないですかー。だ。
彼にとっては失敗してもやり直ししても大した問題じゃない。
なんとなく楽しそうなのだ。何でもかんでもなんか知らんが楽しそうなのだ。
自分の音痴を楽しそうに語るし。
彼の中に深刻さが見えない。
「倒れるまでやるんですよ」
って言ったら、本当に倒れるまでやってるし。
別に倒れるまでやらなくてもいいんだけど、
その彼のスタンスが私にいろんなヒントをくれるんだ。
彼は私に教えているわけじゃない。
私が勝手に彼のその行為から教えられている。
深刻になるって、この世界が重要で重くのしかかる。
この世界をリアルに存在させる。
幻想が幻想でなくなる。重くて硬いリアルなものに感じさせる。
でもあの内田くんの軽さ明るさは、幻想をリアルにさせてこない。
それでも本人いわく徹底的に論理的に考えるんだそう。
私にそれは無理だとしても、あの軽さや楽しさは真似できる。
それはコースの、恐れを選ぶか、愛を選ぶか。
その選択に似ている。
深刻になるか、楽しくいくか。
多分、深刻になるって、どこか拒否ってるんだ。
いやだな~と思うから、深刻になるんだ。
楽しくいくって、受け入れているんだと思う。
失敗も受け入れ、やり直しも受け入れる。
するとこの世界は軽くなって見えてくる。
重く硬い存在ではなくなる。
それはこの世界や自分の行為を
愛で見るってことなんだろうな。
愛って深いなぁ。
また長くなっちまっただ。