2025年5月19日月曜日

この世界をリアルにするかしないか

 

複写したものをプリントして原画の色合わせ

10月の展覧会に間に合わせようと、

今作品集もどきを作っている。

もどきっていうのは完璧な画集ではないからだ。


一枚一枚額から外して複写する。

画集作る人の大変さをあらためて思う。

あの人も、この人も大変だったんだろうなあ~。


アナログな作品をデジタルに置き換えられるからか、

全体的にギトっとしてしまい、なかなか原画の和紙の優しい雰囲気にならない。

それでもなんとか近づけようと素人なりに奮闘する日々だ。




昨日「どの幻想が一番いい幻想?」というブログを書いたが、

まさに「どの幻想の色が、一番幻想の原画に近い色?」ってやっている(笑)。


どーせ幻想なんだから、なんでもいいんちゃう?

という考えはなんかちゃう。

それは無理がある。


キーワードは「深刻さ」なんだろうな。


う。。。色が違う。。。

あー、またやり直しかー。。。


というのは、なんか暗いというか、重いというか、ジトーッとして、

無理やりやり直しをする。


これはことを深刻に捉えている。

幻想を実在化している。



でも同じやり直しをするのでも、


あ、色が違う。

そっか、じゃあ、も一回トライ。


トライして、トライして、トライ。


んでほぼ同じ色にできたら、ラッキー!


この二つの感じ方の違い、わかる?




これ、内田宇宙人に教わったんだ。

「つくしさん、何度でもトライするんですよ。

それでできなかったらできないでいーじゃないですかー」

この軽さ(笑)。


アメリカの銀行に入れてあったお金が、

こっちに送金されるかしないかで半年振り回されたことがあった。

貧乏人の私としてはなんとか送金されるように頑張ってきたが、なしのつぶて。

完全に泣きが入って内田くんにグチる。


「入ったらラッキー、入らなかったら、それでしゃーない」

「えー。そんなもん?」

「そんなもんです」

「。。。」

そうは言いながら、彼は彼のできる範囲で徹底的に手伝ってくれた。


やり直し、失敗。

そんなことが私には深刻になる。

でも彼の中では、やり直しすればいいじゃないですかー。

失敗したっていいじゃないですかー。だ。


彼にとっては失敗してもやり直ししても大した問題じゃない。

なんとなく楽しそうなのだ。何でもかんでもなんか知らんが楽しそうなのだ。

自分の音痴を楽しそうに語るし。


彼の中に深刻さが見えない。

「倒れるまでやるんですよ」

って言ったら、本当に倒れるまでやってるし。


別に倒れるまでやらなくてもいいんだけど、

その彼のスタンスが私にいろんなヒントをくれるんだ。

彼は私に教えているわけじゃない。

私が勝手に彼のその行為から教えられている。




深刻になるって、この世界が重要で重くのしかかる。

この世界をリアルに存在させる。

幻想が幻想でなくなる。重くて硬いリアルなものに感じさせる。


でもあの内田くんの軽さ明るさは、幻想をリアルにさせてこない。

それでも本人いわく徹底的に論理的に考えるんだそう。

私にそれは無理だとしても、あの軽さや楽しさは真似できる。


それはコースの、恐れを選ぶか、愛を選ぶか。

その選択に似ている。

深刻になるか、楽しくいくか。


多分、深刻になるって、どこか拒否ってるんだ。

いやだな~と思うから、深刻になるんだ。

楽しくいくって、受け入れているんだと思う。


失敗も受け入れ、やり直しも受け入れる。


するとこの世界は軽くなって見えてくる。

重く硬い存在ではなくなる。


それはこの世界や自分の行為を

愛で見るってことなんだろうな。


愛って深いなぁ。



また長くなっちまっただ。










和紙で制作した作品のオンラインショップができました

ペーパーバックの表紙を制作した原画のオンラインショップです



2025年5月18日日曜日

どの幻想が、一番いい幻想?

麦汁プッシュ〜っ!
デーツとクルミ、タケノコとスナップエンドウ

 

昨日友達とドトールで話した。


「私ねえ、捨てられないのよ。

何もかも捨てて、すっきりしたいのに、

捨てた後で『あ~、あれ捨てなきゃよかった!』

って後悔することが多くてさあ。

高いお鍋のセットとかあるでしょ?

捨てるのもったいなくて、高い棚に入れたまま。

いつも使っているお鍋なんて、

千円ぐらいの、どーでもいいいつでも捨てていいお鍋ばっか!

なんかすっきりしたいのよね。

何もないキッチン。

でもそうなるために色々考えてたら、

もう頭の中疲れ果てちゃって。

何もしないで1日が終わる。。。」


「ワハハわかる。私も~~~。

で、何もないキッチンになったらどうするの?」


「またモノで埋める!」


捨てたい、捨てられない、

憧れのすっきりキッチン、

でもたとえそのキッチンが出来上がったとしても

その空間にまたモノが溢れ、

捨てたい、捨てられない、の連鎖が続く(笑)


これさー。最近の私にも言える。

踊りすぎで膝が痛い。

整形外科で水を抜き、ヒアルロン酸を入れる。

でも水を抜くとそれがクセになり、また水が溜まり、

ヒアルロン酸を入れる、のパターンが続くらしい。


ジムで筋肉を鍛える、ストレッチで伸ばす、

でも先生が言うには、

ストレッチしすぎてはいけない、

鍛えすぎても炎症を起こす。。。


適度な運動、

適度なストレッチ、

適度なダンス、

適度な体重、、、、。

適度ってどこ?


近所のオヤジが言う。

「畑やっていると膝と腰がやられて、整形外科通うけど、

治らないんだよね~」


畑は体にいいんちゃうんか。

ジムは体にいいんちゃうんか。

ダンスは体にいいんちゃうんか!


全然答えになってない!



キッチンのぐるぐる、

膝のぐるぐる、

人間関係のぐるぐる、

未来の不安へのぐるぐる、



『葛藤の中には答えも解決もあり得ない。

なぜなら、葛藤の目的は解決を不可能にすることであり、

どの答えをも不明瞭にすることだからである』

               テキスト27章Ⅳ「静かな答え」1-2


奇跡のコースのテキストを開いたら、

いきなりこの言葉に行き当たって、ひえ~だ。

まさに葛藤の中でぐるぐるだ。


葛藤の目的は、解決を不可能にすることだとお!?

そーいえば、確かに。まさにそれだ。


適度ってわからない。

捨てるってどこまでなのかわからない。

何もかんもが、モヤ~ッとしてて曖昧だ。


整形外科で待っている人々の顔もくらーい。

みんな答えを求めてあっちの病院こっちの病院、

あっちのダンス教室、こっちのジムに行く。



「世界は一つの質問をするだけである。

それは次のようなものである。

『これらの幻想の中でいったいどれが真実なのだろう。

どの幻想が平安を確立し、喜びを提供するのだろうか。

そしてどの幻想なら、この世界を作り上げている

苦痛のすべてからの脱出をもたらせるのだろうか』

               テキスト27章Ⅳ「静かな答え」4-4


おっしゃる通りでございます。


どの幻想が、一番いい幻想?


幻想の中にいいも悪いもない。幻想だから(笑)



頭の中のグチャグチャとぐるぐるを

聖霊さん、

ぜーんぶ持っていってくださーい!










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2025年5月11日日曜日

認められたい。誰に?

麦汁プッシュ〜っ!
器は左/友だちのと、手前/自分の作品

 

最近ブログが更新されない。


気づいたことはいっぱいあるんだけど、

あまりに微細なものなので言葉にする前に消えていってしまう。

もしくは、あまりにバカバカしい気づきなので、

それを書くと、何いってんだ?コイツ。みたいに誤解されるかも知れんと思うと、、、

いや「何いってんだコイツ」は今に始まったことじゃない(苦笑)。


まあ、よーするに、微細なこと、

もしくは誤解されそーなことなので、それを説明しようとすると、

えらく長くなってしまうわけだ。




言葉ってすんごく難しい。

一つの単語を話すと、その単語についてのイメージや解釈が人によって違うので、

それをどこまで同じところに寄せていくかが、

やり取りの中で行われるんだろうけど、

意見の食い違いに、相手は自分を否定されていると思い、

その考えが間違っていると言われていると思い、

自分を変えようとしているやつがいる!と、脅威を感じさせてしまう。

そして攻撃という防衛や、

「あなたはそう思うのね」という一見尊重のように見えるが、

実は自分を守るための防衛をしてきたりする。

そんなやり取りの中で、どうしてこうなるのか?と必死で考えた。



ある日、内田宇宙人にそのことについて聞いた。

「わかりあえるわけないじゃないですか。

それぞれ意見が違うのが当たり前ですよ。

歩み寄ろうったって無理ですよー」

彼の一見ネガティブに聞こえる言葉は、

底抜けに明るい顔で放たれた。

「つくしさんは認めてもらいたいんですよ」



考えてみると、私は必死で彼女を理解しようとしてきた。

彼女と意見が違うことをどうにかしてすり合わせをして一緒に喜びたいと思ってきた。

あの言葉は奇跡のコースのどれに当てはまるのか?

それをどう解釈すればいいのか?

彼女は自分の中でそれをどう繋げているのか?

せめてどこかの共通点が見つかれば、、、、

考えれば考えるほど混乱してきて、私の中から喜びは消えていった。


それは彼女に私を認めてもらいたいという思いからなのだった。

ということは私は彼女に認められていないと思っている。

でもそれは同時に私は彼女を認めていないということでもあった。

でも彼女を認めたいという思いが、

どうにかしてすり合わせを。。。と長年やり続けていたのだ。


認める認められる。。

これはキリのない作業だ。

分離した関係の中で認め合うことは難しい。




私は本当は誰に認められたいのだ?

神に。


ところが神は私のことをとっくのとんまに認めている。

大好きで愛おしい!って思いでいてくれている。

じゃあ、誰に?


。。。。。私だ。


がーん。


私が私に認められたがっているのだ。


彼女は私なのだ。

私が私に向かって、必死で理解しようとしている。

しかしその前提は、私は私と違うということ。

私と意見が違う私をどうにか説得し、認めてもらおうとしていた。


アホちゃう?

アホです。





そしてもうひとつ気がついた。

必死で理解しようとする私は優しくね?


意見が違えば、普通はほっとく。

関係ない人ねとスルーする。

でもそれができなかった私っていい人じゃん。


ここでやっと自分を褒められた。


今まではずっと自分を責めていた。

自分を責めるとは同時に人をも責める。

自分に罪を見ることと、人に罪を見ることは同時だ。

だから苦しくて何度も何度も考え続けていたんだ。


罪を見ることが苦しさを生むのは、

それを意識し始めてから、すぐに気がつくようになっていた。


いい人じゃん私。


やっと心がほぐれた。

正気に戻った。

自分に罪を見なくなった。


不思議だ。

ことは何も起こっていないのに、

心が変わった瞬間、軽くなる。




「いい人じゃん私」は、自分を認めた瞬間だった。


すると彼女を理解しようとする衝動は消えていた。


水平線上の戦いは消え、

垂直の流れが私を平安に連れていってくれた。



「わかりあえるわけないじゃないですか。

それぞれ意見が違うのが当たり前ですよ。

歩み寄ろうったって無理ですよー」


まさにそうだ。

これは不毛の戦いだった。

内田宇宙人の言葉の意味がここで理解され、消えていった。



この世界は言葉によって生み出された。


言葉という「違いを際立たせる道具」によって、

苦しみを作り出し、それを解決しようともがくことで、

さらなる言葉や形が形成され、世界は違いを維持したまま継続していく。


罪を見れば見るほど形が次々に作り出され、

重く苦しい世界に感じられ、


罪がないことに気づけば気づくほど、

形や言葉は雲散霧消して軽くなっていく。





やっぱり長くなっちまった。


でもこの気づきは私にとって大きかった。


出来事に感謝。


そして彼女の存在に感謝。







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