昨日映画「リバー、流れないでよ」を見た。
京都の貴船の料亭を舞台にしたタイムループ物語だ。
たった2分間だけがずっと繰り返すというコメディ。
3分の2まで見て、2分間を繰り返している話に飽きてしまった。
映画を見るのをやめた後で、
これ私に起こっていることなんかもなあと思った。
輪廻転生って、こういうことなんかもと。
こっから先はまともな人はスルーしてください。
私の妄想劇が始まります。
私はなんども生まれ変わっていると思っている。
原始時代にいた私がいて、縄文時代に生きてた私がいて、江戸時代にいた私がいて、
ある時はインド人、ある時はイタリア人と、勝手に思っている。
でもそもそも原始時代はあったんだろうか。江戸時代もあったんだろうか。
縄文土器が出てきたからあったと思っている。
江戸時代の巻物が出てきたからあったと思っている。
でも本当にあったのか?
だって教科書に出てたもん!
でも教科書だって私が見たいように作ったのかもしれない。
そう思うとリニア式に時間の流れに沿って
過去から未来に流れてるって考えが怪しくなってくる。
ひょっとしたら、今人間として生きている私っていうものも、
あの映画のように2分間の人生を繰り返しているだけだったりしたら?
2分間じゃないけど、朝起きて夜寝るまでのドラマ。
18時間くらい?
それをただ繰り返しているだけだったりして。
昨日と今日は出来事が違うし、
ちょっとづつ老けていってる自分を見て、
時間が過ぎているように思える。
でもそれも単なる記憶。
記憶があるから、少しづつ進んでいって、変化している、、、、だから時間はあると。
ひょっとしたら、時間は私の中にしかなかったりして。
幼い頃、この目の前に見えている世界は、
私が見るからあるのだと思っていた。
見えてない部分は存在しないと。
だから私の後ろはないのだ。
どうにかしてその「無」を目撃してやろうと、
ものすごいスピードで振り返って「無」を見ようとしたが、
無はすばやく消えて後ろの風景が広がっていた。
ほら、世界はあるだろ?と言わんばかりに。
それと同じだ。時間も私の中にしかない。
私の中で時間と空間はひたすら輪廻しているのだ。
あの映画の2分間は、私の1日だ。
この世界に気を取られて、それしかないと思い込んで、
その中でどうにかして賢い生き方をしようと懸命に努力する。
でもこの世界は知れば知るほど地獄だ。
母は死ぬような思いで子を産み、
その子もまた泣きながら生まれてくる。
この世界にやってくること自体が苦しいものだということを暗示しているかのような現象だ。
頭は完全にこの世界の法則にのっとって考えている。
私たちは自分の人生がどうなるべきかを知っていると思っている。
だからこそ、この世界をずっとループしているのだ。
同じ時間をひたすら繰り返すという輪廻転生。
あの映画を見たとき、面白くないと思った。
たった2分間をひたすら繰り返す。
それがどれほど退屈か。
あの映画は意図せずしてそれを教えてくれていた。
同じ感覚、同じ考えでこの世界で生きている限り、
そのループから離れることがない。
「もう、こんな繰り返しはたくさんだ。。。」
そう思い始めたとき、
この世界に同調することができなくなってくる。
そうすると、目の前に見えている世界ではないところに心が向かい始める。
五感を越えて、思考を越えて、感情も越えて、
今にいる。
今は時間ではない。
今の中に全ての秘密がある。
ただ、今にいる。
今に帰る。
「ただいま〜」
放蕩息子は、本当の自分を思い出して家に帰る。
「おかえり〜」
本当の自分が笑顔で迎え入れる。
さて、あとであの映画の最後を見ることにしよう。