変な発見をする。
あ、いやだな。。。
と、何かに対して反応すると、
目がかゆくなってかきはじめる自分に気がついた。
でも心が穏やかな時、かゆくないのだ。
花粉症歴40年の私は、
どんどん花粉症の症状が減ってきた。
毎年1月後半ぐらいからではじめるのに、
今年は3月初旬までは全く症状が出ていなかった。
お!このままいけるか!?と思いきや、
「花粉が爆飛びます」という天気予報を見つけるにつけ、
だんだん「その気」になってきた。
しかし忘れているときは全然楽だ。
そしてかゆくなる時と、
ならない時の心の状態の違いに気付きはじめる。
今、この文章を書いているときは、
花粉症のことを書いているので、なんかかゆい(笑)。
しかし苦しいほどではない。
ものすごくかゆくなる時、
大抵何かしらの問題を感じている時だ。
あ、あの用事をやらなきゃ。。。
あーめんどくさい。。。
「ゴシゴシ。。。あっ!かいちゃった!」みたいな。
心が全体性にある時、とても穏やかでいる。
それはこの世界のよしなしごとに気を取られていない時。
大きなお空や、お山や、お空の雲や、そよ風や、そこにある空気に心がある時、
ほわ~んとして、暖かで穏やか。
そんな時、体のことなんか忘れている。
だけど一瞬でもこの世のことに心が戻って、
「あれやんなきゃ」とか、「ああ、あのことをどうしたらいいんだろう~?」
って思い悩む時、なぜか心は体に引き戻される。
かゆい。くしゃみ。鼻水ズルズル。
「お前はカラダだぞ!そうだ!ここにあるカラダがお前だ!」と、
しっかりと「自分=カラダ」と体の症状を感じてお節介にも証明してくれる。
カラダという固形化されたものの中にぎゅーっと引っ張り込まれるわけだ。
体を忘れている時と、
体と一体化している感覚の違いをはっきり体験させられると、
自分はカラダじゃないんだとなんとなくわかってくる。
そして自分=カラダという信念が、いかに苦しいものだったかも知る。
こんな状態の中でずっと私はいたんだ。。。
よく今まで耐えられたよなあと、感心さえする(笑)。
罪悪感があるうちは、この世でどうにかしなきゃという思いに囚われ続ける。
でも少しずつ罪悪感が減っていくにしたがって、
こんな思いになってくる。
この世はどうにもできない。もうお手上げ。
あっ。。。わっかりませーん。
もう私にはどうにもできませーん。
神様にお任せします~。
これ、ほとんどバカなのだ。
だからバカボンのパパは偉大なのだ。
0 件のコメント:
コメントを投稿