2024年7月11日木曜日

今、私はどこにいる?

 

「水辺」/和紙、水彩


時間というものが、いかに恐れと共にあるかを実感する日々だ。



今年に入って未経験なことが毎日山のようにつづく。

その最大なものが母の死だと思ったが、さらにまた新しいことが起こる。


そのため都心の公的な場所に毎日足を運んで書類集めに忙しい。

職員さん;「あ~、それはここでは扱っていません。九段下に。。。」

私:「え。八王子でできるって言ってたけどなあ。。。」


職員さん:「えーと、本籍地は八王子ですよね?え?違う?」

私:「いやさっき電話で確認した時、本籍地のこと聞かれなかったですよね。今しがた電車でその駅を通ってきたのに、、、今から都心に引き返しですか。。。。(ガックシ)」


あれをゲットするために、まずこれをやって、それからこーやってあーやって。

それをゲットしても、その次があるし、その次がたとえ受け入れられても、あのめんどくささがやってきて、、、、。



小仏川の土手沿いを歩きながら思う。

頭の中にあるのは、未来を想定した心配事でいっぱい。未経験のことばかりに慌てふためいている。私はそれをやりたいのか?やりたくないのか?と言われれば、なかり難しい内容なので正直言うとあまりやりたくはない。だけどそれが私に出来事として来ているということは、何かを私に伝えようとしているはずだ。



今、私はどこにいる?


川のせせらぎを聞きながら歩いている。

目の前には緑がいっぱいだ。今日は曇っていて湿度は高いが暑くはない。


今ここにいるとき、実はこれしかない。

頭の中だけに、未来と過去という時間がうごめいている。


こうしたほうが良かったとか、ああすればいいんだとか考えるとき、私は時間の中にいる。


予定を立てて計画するとき、

それは罪と共にいる。

罪とは「間違いがあってはいけない」という思いだ。

それは恐れと共にいる。

未来という時間と共にいる。

そして自分と他人という分離と共にいる。


でも今にいるとき、

そこに罪はない。

恐れもない。

そしてなにとも分離していない。


私はそこにあるものと一体となっている。

そこには安堵がある。心地よさがある。静けさがある。



恐れが時間を生む。

今ある自分を否定する。

そうして頭の中にドラマが始まる。

自分をなんとか肯定するために。


そうではなかった。

最初に否定があるから、時間を生み出し始める。


最初に肯定があるとき、そこに恐れはない。

時間が頭に生み出されることもない。


放っていたら、私たちは自分を否定している。常に。

否定するがゆえに、なんとか取り繕おうとする。

恐れがそこに忍び込んでいるから。


自分の否定の否定。

自分がここにいていいのだということを肯定する。

これには意志力がいる。

放っておいたら、自動的に自己を否定しているのだから。

そして時間の中に埋没していく。


時間の中に埋没していく自分に気がついて一歩下がる。


今、私はどこにいる?

ここにいる。


ここにいることをこことともにいよう。









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