2024年3月29日金曜日

美意識

 

母と私

コロナ直前に施設に入った母に、初めてじかに会うことができた。


それまでは施設の屋外から窓越しに会えるだけ。夏の暑い盛り行った時はきつかった。

中の声は聞こえないため電話みたいな機械でやり取りするが、母の言葉は聞き取れなく、頑張って会話を続けても10分もいられない状況だった。


それが今回は面会室に通されて、30分以上一緒にいられた。

機械を通した声ではないので、話している言葉もだいたいわかる。ずいぶん痩せて、化粧っ気もなく老いてきた風には見えるが、相変わらず気品のある風情。


週に二回来てくれるリハビリのお兄さんの話も出た。彼とは長い付き合いになる。彼は多分男性としては、彼女にとって人生初めての心を開いた存在のようだ(父には開かなかったけど笑)。

その彼との会話を楽しげに語ってくれた。




彼女の美意識と確信は、一言で語れるものではない。

立ち居振る舞い、存在の華やかさ、見る目と感覚の鋭さは群を抜いている。

また見えないものへの話にも唖然とする。例えば海の向こうにある森に住む小鳥の声を聞いていたりする(ほんまかいな)。

私は彼女のそういった話に小さい時から触れ、彼女のすごさと私の凡人加減を思い知る年月だった。


しかしその美意識が反面苦痛を生むことも見てきた。

もともと身分の高いらしい家柄のため、彼女は一般的な人々を「下々の者たち」のように見ているようだ。(本人にその意識はない)

だから施設でも部屋から一歩も出ない。食事の時だけ出るが、その際いっさい目を閉じている。さすがに食事の時だけは「目を開けて食べる」らしい(笑)。

その徹底ぶりは娘を笑かしてくれる。


この二元の世界では、優れているもの、美しいもの、良きとされているもの、身分の高いものに意識を向けるともう一方も現れる。

優れていないもの、美しくないもの、良くないもの、身分の低いものが、もう片方に現れ、彼女はそれに悩まされることになる。


不思議なことに、私の父はその身分の低い系(笑)だった。どういった経緯で結婚にまでいたったのかしらないが、結婚してすぐに自分とは全く違う家柄の人間と結婚したことに気づいたという(遅っ)。


そして私が生まれた。私はその両方のハイブリッドだ。

母にとっては毛嫌いする感覚も私は持っている。

ご機嫌取りの、人の顔色を常にうかがう貧しい心の私がいる。

だが反面、何が美しいのかも見える私もいる。




彼女の美意識の高さと自分とのレベルの低さを常に比べてしまい、

彼女への劣等感で60年近く悩まされてきた。

しかしその劣等感を埋めるための解決法は、この物理的分離の世界にはないことを知る。

これが美しい、これが美しくないという形の世界に執着している限り、対立があり、分離はますます分離を生む。


つまり美意識は持てば持つほど苦しく、分離は埋まらず、むしろどんどん離れていく。


私は美に携わる仕事に就き、これを知った時は苦しかった。

しかしその答えはこの世界にはなかった。

その答えを得たことは私の救いだった。





美意識とは「こうであらねばならない」という縛りだった。

それは前提として、「自分は欠けている」というものから来ている。

それが私を苦しめてきた。


美しいものに基準などない。


ただそれを見た時、心が広がる。これが真実なのだ。


それを再生可能なものにする必要はない。

このパターンが美しいから、そのパターンで作らなければいけないとなった時、心に縛りを作る。

形が生まれ始める。分離が始まる。


伝統の美は、その苦しさを含んでいる。

でもその伝統の始まりの一瞬は、喜びだったのではなかったか。



美しいものに出会う。

喜びがある。

心が広がる。


それは形に出会ったからじゃない。

神に出会ったのだ。

光に出会ったのだ。

愛に出会ったのだ。





優越感は劣等感の表れ。実は彼女の中には強烈な劣等感がある。

彼女の持っているものと、私の持っているものは同じだった。


一つの心だから当然だった。

彼女は私だった。

あの美意識もあの感性も、そして父の感覚も、私のものだった。


一つの心が、三人を演じて、そのうちの一人の中に入り、リアリティを体験していたのだ。


身分の違い、優劣、みんな形。

形は分離。

分離をしたいという思いが、あらゆる形を生み出す。

元は神から離れたいと思った罪悪感が分離を作り出した。


しかしそれはもう終わっている。

一瞬思い浮かばされて、一瞬のうちに消えた。


私はその再生フィルムを見ているのだ。



母を施設に送ってしまったという罪悪感はもう消えつつある。

そこには、「こうでなければいけない」という美意識がないからだ。


車椅子を回しながら部屋に戻っていく母を愛しく眺めていた。






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