月明かりで目が覚めた。
満月の下に山の真っ黒いシルエット。
それをバックにほんのり浮かび上がる庭の木々たち。
夜に降った雨のせいで、葉っぱに乗っかったつゆたちがキラキラと輝いている。
綺麗だ。。。。
心の中は完全に静寂で、時折聞こえるカジカの声が心を踊らせる。
山の緑もそうだが、川のカジカの声が、暖かい季節の到来を教えてくれる。
これから彼らの声や虫の声で夜の自然は賑やかになっていく。
このところ、夜や朝、静寂が私の中で膨らんでいく。
今までは夜に目を覚ませば未来の不安に怯え、
朝目を覚ませばその日の気がかりが充満する。
心は常に震え、頭は言葉でいっぱいだった。
今は、シーンとした中にいる。
この静寂の奥から、ふつふつと喜びが湧き上がってくる。
ああ、、、なんて幸せなんだ、、、、。
目の前に見える風景全てに感謝せずにはいられない。
心に浮かぶ全ての人々に感謝せずにはいられない。
私の心の中を覆っていた暗い雲が消えていくほどに、
その下にあるものが上がってくる。
その雲は私の思い込みの数々。
その思い込みの数々を手渡していく。
もういらない。もういりません。この思いが私を苦しめていたのです。
そう言って、聖霊に渡していく作業の結果が、
こんな素晴らしいものを見つけさせてくれるのか。
そしてそれこそが、私たちの本質。私たちの真実だった。
なんと美しい心。なんと幸せな心。
夜眠れない人々の理由がそこにあるのを実体験を通して知る。
ストレスと単に言うけれど、それはそれは膨大な量の苦悩を抱え込んでいるのだ。
それを一つ一つ気づき、手放していく。
外の誰の手も借りずに、自分の中にいる聖霊との対話の中で行われていく。
コースは「心」と日本語訳で書かれているけれど、原文は「mind」。
感じるものということではなく、
思いだ。考えだ。
私たちの心は、言葉に埋め尽くされている。
この言葉が私たちを苦しめている。
そのことを理解するのはちょっと難しい。
だからコースのテキストは、あれほど分厚い。
私たちがどれほど自分の考えに占領されているのか。
その自分の「正しい」考えを信じ切って生きている。
これをひっくり返していくのがコース。
簡単じゃない。
まさか自分が信じていることで苦しめられているなんて思いもしない。
外の誰かのせいで苦しめられていると信じて疑わない。
しかも完全に全く嘘の世界で生きているのだと教えられる。
これほどの恐怖があるだろうか。
コースが激しく抵抗されるゆえんだ。
しかも学び始めてからさらに苦しくなる。
自分が隠しておきたかったものがどんどん見え始めるからだ。
苦しさは誰のせいでもなく、自分が信じていることから来ていることを知り始める。
誰にも文句が言えなくなる。苦悩で七転八倒する。
だがそれを選ぶ意志を持つとき、小さな瞬きがやってき始める。
この世界だけが全てではないというものを見せられる。
そして心は、別の見方があることを知り始める。
静けさの中でとめどなく喜びが溢れてくる。
私は目の前の山を赦した。
カジカの声を赦した。
冷蔵庫の音を赦した。
時計の音を赦した。
この家を赦した。
この体を赦した。
この痛みを赦した。
月を赦した。
雲を赦した。
自然界の現象すべてを赦した。
この社会のシステムすべてを赦した。
そして友を赦した。
赦しは、愛だ。
絵:「夜の山」
0 件のコメント:
コメントを投稿