2023年1月14日土曜日

心が形でいっぱいになる


 

心は、具体的なものに覆われている。

言葉はほとんど形にのっとったものだ。

だから心は形を追いかけている。



町会の歴史をたどるとは、

過去の形を追いかけることになる。


あの形やこの形。

この形にするために、人はどう考えて、行動をとって、どういう生き方をするか。

この町会の100年単位の歴史や人物像が、私の頭の中にいっぺんに入ってくる。


それをまた言葉という形でどうやってまとめていけばいいのか。

心は言葉と形だらけで苦しくなって寝られない。



そんな時、私は静けさの中に入る。

形も、音も、感触も、匂いも、味も、その五感を全て通り越して、

それにまつわる思考も、それに伴うか感情も、

すべて通りこして、静寂の中に入る。


透明な世界。

そこに触れていると心が落ち着く。


こういう時間をできるだけ多く持つにつれ、

頭の中でしゃべっている自我の声が、

いかにこの世界に集中させようとしているのかに気づく。


「ほら、あれやらなきゃいけないでしょ。」


「ああ、足が痛い。どうしよう。

なんとかしてこの痛みを取り除かなきゃ。」


「ピーターから返事がない。どうしよう。

今頃アートディレクターは私の下手くそなラフスケッチに頭を抱えている。」


「この膨大な資料、どうやってまとめるのよ。」


この声のすべてが、この世界があると言い続けている。

私はそれをそっと脇に置く。


五感を超えて、思考を超えて、感情を超えて、何もないところに行く。

そこには一見何もないように見えるけれど、確かにある。

そこに私はいる。

形もないもの。想像を絶するもの。

ありありて、あるもの。


私はそこに触れる。



ピーターの返事もやがて来るだろう。

この膨大な資料もやがてまとめられるだろう。

この痛みもやがて収まるところに収まるだろう。


目の前に起こっている出来事は、勝手に動いていく。

そこに心をどう寄せるかに、私たちの幸せはかかっている。


私には何もできない。

実は何もしていない。

何かしているつもりの、その両手をゆっくり離していく。


操縦しているつもりのハンドルは、その形に繋がってはいない。


大騒ぎしてあたふたしていようと、静けさの中にいようと、

ことは勝手に動いている。


それなら静けさの中でそれを眺めていたい。




膨大な形を赦していこう。


今、私がやっていることは、

過去を清算していっているのだろう。

たとえそれが私の過去ではなく、

町会の過去だとしても、同じことだ。


なぜなら同じ一つの心から作りだされたものだから。





絵:「山越え/出会い」






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