2023年1月3日火曜日

ひとつの心

 


みなさま。


あけましておめでとうございます。


昨年は、お忙しい時間の中ブログを読んでくださったり、

直接展覧会にお越しくださったりと、

皆さんの温かい心に触れて、

とてもありがたさを感じた一年でした。

ありがとうございました。


今年も何卒よろしくお願いいたします。




さて、お正月からちょっとどきっとするようなことを書きます。

ご注意ください。


でも私にとって、とても大事なことだったのです。



ーーーーー


私には苦手な人がいた。


本当に失礼ながら、その人に対してこういうイメージがあった。

ニコニコしながら人を殺せる人。


優しくにこやかな笑顔の下に、恐ろしく残酷さを秘めた人。。。

そういうイメージがあった。


ある日、その人のことを不意に思い出した。

ああ、まただ。。。また思い出した。。。


そして聖霊に聞いた。

私は彼をどう見ればいいのですか?

聖霊さん、教えてください。


私は彼をニコニコしながら人を殺せる人だと思っている、

そう思った時、


これは、、、わたしのことじゃないか?と。。。

彼、ではなく、私を、そう思っているんじゃないか。。!?


その時、幼い頃ずっと感じていた恐ろしい感覚を思い出した。

人を刺した瞬間の、あの生々しい感覚、、、、。


それは幼稚園児ぐらいの頃だ。

不意にやってくる、人を刺した感覚。

ナイフがズブズブと肉にめり込んでいく。

それがナイフを通して自分の手に伝わってくる、、、。

そしてハッと我に返る。

「今、私、人を刺してないよねえ、、、」と。

手を見ると、何も握っていない。

しかし幼い私はその感覚に怯え震えていた。


その時のことを思い出したのだ。


これが一体何を意味するのかわからない。

過去生といえばそうなのかもしれない。

だけど私はそのことを通して、

人が人を殺めることの、悲しさを知っていた。

そこまで追い詰められる、その心を哀れんでいた。


それは父が警官だったことも関係しているのかもしれない。

駐在所に時々やってくる罪を犯した人々の顔。

その存在の悲しみを見ていた。

幼い頃から罪はいつも近くにあった。


そして今、彼を通して自分が自分に信じていることをはっきりと自覚したのだ。


私はニコニコしながら人を殺せる人間だと、私は信じているんだ。。。!と。


そしてじっくり自分を振り返ってみる。

私はニコニコしながら人を殺せる?


ない。。。。

ない、ない。。。

ないんだ!全く!


罪悪感を感じていた頃の私だったら、

やったかもしれないと思ったことだろう。

しかし今の私にとって、それはないと言える。


ただ、そう信じた想いだけがそこにあった。

信じてはいるけれど、それは嘘なのだ。


それは全くの嘘だった。。。。!



私はその思いを連れて、光の中に入った。

それはひとつの心。

ひとつの心の中に入ると、彼も私も一緒だった。

ひとつの心が、分かれて、刺すことができるのか。

不可能だ。。。


ひとつは一つなのだ。

分かれることなどできない。


分かれる事ができると考えるのが、自我の考え。

分かれるから、殺しあったりできる。


それは本当か?

それこそが、嘘なのだ。

分離など、はじめからしていない。




その事があってから、私は何か心に痛みを感じると、

ひとつの心に戻るようになった。


誰かの体を憎悪する気持ちがあると、

即座にそれは自分の体を憎悪しているのだと気づく。


そしてその思いをひとつの心に持っていく。

光の中で体は消えていく。


体という考えが、兄弟を分離させている。

ひとつの中は、兄弟との分離など存在していない。

互いが互いの体を嫌悪する事などできない。

体という分離がないのだから。


そこにいくと、急に心が変わる。

さっきまでの憎悪は跡形もなく消えていく。



例えば秘密ごと。

誰かが、秘密を話してくれないと考える。

それをひとつの心に持っていくと、秘密などない事がわかる。

秘密にしようがない。

だってひとつの心は、すべて手に取るようにわかっているのだから。





彼との出会いは、私をとんでもないところに導いてくれた。

彼はずっと私に言いつづけてくれていたんだ。


「あなたは自分のことをこう信じているよ。

それを手放す気になっておくれ」と。



人は自分にひた隠しにしている信念が山ほどある。

それに気づくために、出来事は起こる。


それが光の下に、明るみになればなるほど、強くなっていくのだ。




絵:「聖樹」





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