コースを学んでいて、苦しみが出てくる人は、
自分の中にある罪悪感に気づいた人なのではなかろうか。
この世界は罪によって作り上げられたという。
そうであるならば、その材料である罪は、
それを見つけない限り、訂正することはできない。
罪というと聞こえが悪いが、別の言い方をすれば、
分離の意識、分離したい心、自分と人とは分かれていたい思い。
だから自分の中に分離したい思い、罪の意識や闇があるのを見つけたとき、
今まで隠蔽していたあらゆる考えが、どんどんあらわになり、
自分がどれだけ汚く、ずる賢く、いやらしー考えの中で生きていたかを知り始める(笑)。
人はそんな自分の闇の深さや重さに耐えられなくなる。
そんなものがあらわになるコースって、どんだけ~~~~っ!
コースの本は何度も投げつけられると言われる。
あるブログで、コースの本がボロボロになった写真を載せて、
「真剣に学んできた結果のように見えますが、
実は何度も投げつけた結果です(笑)」
と、正直に話している人がいた。
愛を見つける道ではなく、愛の障壁を取り除く道。
愛はすでにそこにあるものなのに、
それを見えなくさせている私たちの考え/障壁を一つづつ取り除いていく道。
私たちの心に見えないように隠してある、見たくないもの、
つまり罪悪感にはっきりと気づくと、そこから反転が始まる。
兄弟に押し付けていた憎しみや苦しみは、自分への憎しみだったと気づく。
全ての苦しみの原因は、自分の考えだったということに気がつき始める。
罪悪感を自覚しないうちは、何に翻弄されているかわからない。
しかし一旦罪悪感というものに気がつくと、
全てがそれに翻弄されていることがわかってくる。
この世界の苦しみという苦しみはそこからきていると。
しかしその罪は、実は嘘だった。
それ自体が存在しない考えだった。
罪悪感はオバケ。
後ろから「うらめしや~~~(お前は罪深い~~~)」
ってきていると感じると、
「怖い怖い!」と逃げ惑う。
しかしその誘惑に乗らない。
ずっとその誘惑に無意識で乗ってきたのだ。
もうその苦しみを終わらせたいと真剣に思うなら、一旦落ち着こう。
おもむろにクルッと振り返り、
そして
「うん。これは柳の木」
と見抜く。
なんどもなんども「うん。これは柳の木」と見抜く。
いつのまにか罪悪感おばけはいなくなる。
あなたがそれに振り回されるという物語を必要としなくなるから。
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