2022年5月9日月曜日

思いをいただく


 

「ありがとう!」


友達からうちの旦那へのお見舞いの、美味しいスープを受け取った。


大きなタッパーを返すとき、

「空じゃ悪いかな。何か気の利いたものを。。。」

と思ったが、そんな間もなく「ありがとう!」と返した。


空のタッパーを振って、

「この中に、ありがとうがいっぱい入ってるね」

と、友達は言ってくれた。


そうなのだ。

それこそが本当のお礼なのではないか。


人様に何かをもらったら、それに見合うものをお返ししなければ、、、という思い。

その思いには、どこか後ろめたい思いを含んでいる。

借りを作ったから、その借りを返さねばと。


その心の底に、罪悪感が見え隠れしていた。

それは差し引きゼロにしたい、チャラにしたいという思いがあった。


それは違う。

それこそ、その思いをくださった方にめちゃ失礼だ。


「ほんっとに、美味しかったよ!」

という思いだけを伝えるだけでいい。




心の訓練するほどに、心の方がますます重要になってくる。

形象は結果であって、その原因は心。


心が結果を作っている。

そしてそれはどれだけ巨大なものか。



私たちは思いを形にすることに躍起になってきた。

愛しているよという思いを形に、楽しいを形に、思い出を形に。。。


そうしていつの間にか、その形がもらえないことに悲しんだり悔しんだりしている。


それは本末転倒ではなかったか。



美味しいスープ。

そのスープと、思いをいただく。

それと同じ量の形と思いをお返しすることなどできはしない。


本当に、「ありがとう!」と、いっぱいの思いを相手に送る。

それこそが大事なのだ。



私なんかが、そんな思いは受け取りきれません。

そんな資格などありません。。。

そういう思いが、私の中にあった。


でも思いを受け取る力が私にもついてきたように思う。

それは罪悪感がちょっとづつ減ってきたからなのだろう。



道を歩けば、たけのこに当たる。

京都からも美味しいものが届く。


おばさんは、

「ありがとう!」と言って、

いっぱいの思いを、もらいうける。




絵:ミステリー表紙イラスト




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